A warning against excessive construction activities that are destroying limited forests
Updated by 長澤 光太郎 on July 28, 2025, 9:16 PM JST
Kotaro NAGASAWA
(Platinum Initiative Network, Inc.
1958年東京生まれ。(株)三菱総合研究所でインフラストラクチャー、社会保障等の調査研究に従事。入社から数年間、治山治水のプロジェクトに携わり、当時の多くの河川系有識者から国土を100年、1000年単位で考える姿勢を仕込まれる。現在は三菱総合研究所顧問。学校法人十文字学園監事、東京都市大学非常勤講師を兼ねる。共著書等に「インフラストラクチャー概論」「共領域からの新・戦略」「還暦後の40年」。博士(工学)。
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Kumazawa Bansan, Pioneer of Japanese Forest History, was a Thinker without Discovery: Reading "Shugi Wa Sho" and "Shugi Gaisho" (Part 1)
1645年、26歳で岡山藩に再仕官した蕃山は、藩主池田光政に見出され、3年後には家老に次ぐ重要な地位に就く。1654年、35歳の時に岡山藩で未曾有の災害「承応3年の備前大洪水」が発生。対応した蕃山は領民を救うために藩庫を開いて貯蔵米を配布し、幕府から金4万両余の借り受けに成功し復旧に充当。彼の起案により岡山藩では直後から①伐木停止、②造林、③立木の計画的伐採を実行。多数の人夫を使って山々に松を植林し土砂流出の抑制に成功。この実績が各地に知れ渡り、のちの幕府による「諸国山川掟」(1666年の開発抑制指示)制定の先駆けになったと評価されている。
この他の業績として、藩内河川の治水事業、岡山藩校の設立、庶民教育機関(郷学)の先駆けである「閑谷学校(しずたにがっこう:形を変えながら昭和まで継続)」の設立への寄与などが知られている。京都を追われ各地を転々としていた時期にも、多くの土木事業を指導した記録が残っているようだ。蕃山は単なる物書きの思想家ではなくて、災害対応、土木、教育の実務家として先駆的な仕事をした人なのであった。
蕃山の山林に関する記述は『集義外書』に少しだけ見られる。まず塩浜と焼物を増やしてはならないと書いてある。この2業種は山林資源を大量に用いるので山林が取り尽くされてしまうからである。蕃山は「山林は国の本である」と力説する。草木の生える山は土砂を川中に落とさないので洪水の心配がない。樹木のある山は神気が盛んで雲雨を起こす力があり、水不足もなくなるのだと。このことは繰り返し述べられている。
また過剰な建築活動、とりわけ寺院建設が山林を荒廃させていると指摘している。「日本は小国だから、山野に限りがある。その国に生じる物は、その国の山野の力に合って生じるのが当然である。」「現今の出家の堂寺は(中略)人も少ないのにおびただしいものを建て並べます。あるいは新しく作り、あるいは建て直し、日本国中で毎年絶え間なく建築するので、山林を使い尽くすことはいちいち数え立てができないくらいです」これは、三百数十年後に書かれたタットマンや徳川林政史研究所の著作にも見られる指摘である。
なぜ旺盛な建築活動が行われるのか。それは世の中が平和になって驕りが出てきているからだと蕃山は言う。乱世では軍勢に焼かれた堂寺は再建されない。そんな状態が今後100年も続けば山々は元のように茂り、河川は元のように深くなるだろうと皮肉を込めて記している。そして、「人は山川が荒廃する根本の原因を知らない。またこのように荒れては、世の中が立ちゆかない道理を知らない」「山林川沢の神気が尽きると(中略)さまざまな凶事が起こり(中略)応仁の乱のような災いが起こるのである」と注意喚起する。
『集義外書』には、河川改修に関して詳細な記述がある。木津川や勢田川、大和川などを対象に具体的な改修方法などを示している。また蕃山研究者の論文などを見ると蕃山の別の著作『大学或問』などに森林に関する記述が豊富にあるようだが、現代語訳が入手できず、筆者は直接読んでいないので省く。大変残念である。
教科書などではあまり取り上げられない熊沢蕃山ではあるが、少し調べると、多くの人たちに評価され、思想的影響を与えていることが知られる。
例えば荻生徂徠は、蕃山を「百年来の巨擘(きょはく:優れた人)」と絶賛している。幕末の薩摩藩主・島津斉彬は『集義和書』を青年必読の書として藩内に勧め、西郷隆盛や大久保利通もおそらく学んでいる。勝海舟は『氷川清話』で蕃山を「儒服を着けた英雄」と褒め称え、横井小楠は「事を成す体の人、熊沢了介此人一人なり」と尊敬の念を隠さない。幕末の動乱期に経世済民の指針を求めていた人々には多大な示唆を与えたようである。
近代日本でも蕃山に心酔する人は続出しており、例えば関東大震災後の帝都復興など様々な業績を残した後藤新平は、座右の書として『集義和書』を挙げている。また現代でも、2014年にノーベル物理学賞を受賞した天野浩さんの座右の銘が熊沢蕃山の「憂きことのなおこの上に積もれかし。限りある身の力ためさん」であることが話題になった。その意味は「困難・苦難はいくらでも来い。自分は決してそれには負けないぞ」である。
蕃山は、高い実務能力を持ち多くの先駆的業績を残しながら、純粋かつ率直な意見を忖度なく発信したことによって幕藩体制側から危険視され不遇のうちに客死した。しかし彼の思想はその後、多くの共感者を生み、現代日本を創り上げる一端を担った。
『集義外書』に以下の記述がある。「(私は)全く当世の名利を求めていません。百年後には、その正邪は明白に知られるでしょう。(中略)百年の後になれば、今の誉める人も謗る人もともにいなくなり、好悪も移りかわるから、万年不朽の公論になります。(中略)当世の謗りを避けず、誉れも求めない。ただ後世に恥じない真実を心がけています。後世に恥じることがないのは、自分の心が神明に対して正しくあって、不正をしないと信じているからである」
このような思想家が「山林は国の本である」と言っている。森林に関わる人たちへの、力強いエールだと感じます。(プラチナ構想ネットワーク理事 長澤光太郎)