The forestry philosophy of "persistence," which was born in 18th-century Germany during the time of deforestation, faced challenges.
Updated by 長澤 光太郎 on August 19, 2025, 6:10 PM JST
Kotaro NAGASAWA
(Platinum Initiative Network, Inc.
Born in Tokyo in 1958. (Engaged in research on infrastructure and social security at Mitsubishi Research Institute, Inc. During his first few years with the company, he was involved in projects related to flood control, and was trained by many experts on river systems at the time to think about the national land on a 100- to 1,000-year scale. He is currently an advisor to Mitsubishi Research Institute, Inc. He is also an auditor of Jumonji Gakuen Educational Corporation and a part-time lecturer at Tokyo City University. Coauthor of "Introduction to Infrastructure," "New Strategies from the Common Domain," and "Forty Years After Retirement. D. in Engineering.
ドイツの林業が気になる。その理由は三つあって、一つはドイツが日本と並んで育成林業を実現した国であること。そしてそれが専門家主導によるらしいこと、さらには明治日本がドイツ林業を導入したとされること。そんな興味関心で関連書籍を漁っていたら、とても明快で面白い解説に出会った。それが村尾行一氏の『森林業−ドイツの森と日本の林業』。今回は、同書の歴史叙述部分を、筆者なりに整理してご紹介したい。なお自分は森林の初学者であり、理解のために他の書籍も参照した。参考文献は後編の末尾に記す。
17世紀に入ってドイツの森林は著しい減少が続いた。当時のドイツはいわゆるヴェストファーレン体制すなわち形骸化した神聖ローマ帝国の下で諸侯が極めて大きな主権を有し、実質的には小国家(領邦)が並存する状況である。各領邦は国家経営費に充当する資金源としての木材輸出、また自国内消費の急増(建築など)に対応するため採取的な森林乱伐を続けたため、18世紀初頭には「木材窮乏」と言われる危機的事態になった。
領邦の経営を担う行政官らが対策を検討する中、ザクセン公国(ドイツ東部)の鉱業官僚ハンス・カール・フォン・カルロヴィッツ(1650年〜1718年)が1713年に発表した著書で初めて「保続」という概念を提唱した。その要点は「木材収穫量を森林材積成長量以下に抑制すること」「伐採跡地に材積成長の早い樹種を人工造林すること」の2点である。なお「保続(Nachhaltigkeit)」の英訳は”Sustainability”である。
保続を実現するためにはいくつかの課題を克服する必要がある。それは①森林資源の計測、②保続的林業の経営方法、③近代的造林技術の確立、であった。
領邦の一つザクセン公国はヴァイマルから林学者ハインリッヒ・コッタ(1763年〜1844年)を招き、首都ドレスデンの近郊ターラントにザクセン王立森林アカデミーを設立して、上記の課題に関する理論的・実践的な研究と教育を進めた。ここから生まれた森林思想の系譜を村尾氏は「ターラント林学」と呼んでいる。コッタはヴァイマル時代にゲーテやシラーと交流があった文化人だという。
ザクセン王立森林アカデミーの教授マックス・プレスラー(1815年〜1886年)は発展する資本主義の思想を取り入れ、森林経営理論を「土地純収益」の概念で展開した。森林は継続的に生み出す利回りを最大化すべきとして、短期伐採を推奨し、育成に時間がかかるブナなどの広葉樹から短期育成できるトウヒなどの針葉樹への転換を主張したのである。このように森林生産を財政面から捉える考え方は「森林経理(学)」と呼ばれる。
ターラント林学を集大成したと言われるのが同アカデミーの校長も務めたヨハン・フリードリッヒ・ユーダイヒ(1828年〜1894年)であり、望ましい森林の姿は「碁盤の目のように林道で幾何学模様に区画された大規模一斉単純林」であるとした。樹種はもちろん、育成期間の短い針葉樹である。
ユーダイヒの考え方のベースには、明治日本で「法正林」と訳されたノルマールヴァルト(標準的な森林)という概念がある。それは、樹齢毎に区画が分けられた森林のイメージで、例えば樹齢60年で伐採するなら60区画となり、毎年決められた区画を伐採・植林すれば自動的に理想の輪伐が実現する。
ターラント林学の目指す大面積一斉単純林は、いわば大規模農業的な林業経営である。プランテーションの一種とする見方すらある。それゆえにいくつもの限界性がある。
例えば単純林(一つの樹種のみの森林)が病害や虫害、風害・雪害などの気象害に対して脆弱であることは早くから認識されていた。また大量造林を行うため、苗木需要に供給が追いつかず品質管理が困難であること、そこに悪徳業者の跳梁があったこと、さらには長期的な需要の変化、例えば広葉樹需要の増加には対応ができないこと(これはドイツで実際に起きたらしい)などが挙げられる。
ターラント林学は、法正林の概念に代表されるように多分にモデル起点すなわち演繹的である。森林はもっと帰納的に捉えるべきだとの学派が当時から現れていた。そのことは次回に記す。(プラチナ構想ネットワーク理事 長澤光太郎)
■Related Sites
『森林業―ドイツの森と日本の林業』(築地書館)