The "mother of Japanese street trees" - the tulip tree - spread from Shinjuku Gyoen to the rest of Japan
Updated by 渡辺一夫 on November 14, 2025, 6:48 PM JST
Kazuo WATANABE
As a forest instructor, he spreads knowledge about trees and explains the natural environment, and teaches at NHK Culture Center, Mainichi Culture Center, Yomiuri Culture, NHK Gakuen, and others. He is the author of "Trees in Parks and Shrines," "15 Mysteries to Enjoy Roadside Trees," "Why Do Hydrangeas Collect Aluminum Poison in Their Leaves? Completed the graduate course at Tokyo University of Agriculture and Technology. Doctor of Agriculture.
広々とした公園で、大きな木を眺める。そんな気分のよい散策ができる公園に新宿御苑がある。新宿御苑は、東京都新宿区、都心のど真ん中にある公園である。面積約60ヘクタールの広大な園内には、西洋式庭園と日本庭園が広がり、さまざまな樹木がある。都心とは思えないような静かな園内には、プラタナス、ユリノキ、ヒマラヤシーダーなどの大きな樹木が見られる。これらの大きな木が植えられたのは、明治時代にさかのぼる。
新宿御苑がある場所は、江戸時代には高遠藩主であった内藤氏の江戸屋敷であった。その後、明治時代になると国のいわゆる「農業試験場」となり、野菜や果樹の栽培、養蚕、牧畜などの研究が行われるようになった。樹木の研究も行われ、試験場内にさまざまな種類の樹木、特に、ユリノキ、プラタナス、ヒマラヤシーダー、ラクウショウ、アメリカキササゲ、タイサンボクなどの外来の樹木が植えられた。その後、皇室庭園の時代を経て、1949年に公園として開放され、現在ではそれらの樹木は大木に育っている。
新宿御苑は広大な面積をもつ公園であるが、その中心にはひろびろとした芝生の広場がある。「風景式庭園」と呼ばれるこの芝生広場に、高さは30mを超えるという大きなユリノキがそびえている(写真1)。近くで見ると、3本のユリノキが身を寄せ合って、まるで一本の巨大な木であるかのように生い茂っている。新宿御苑には約30本のユリノキがあるが、中でも風景式庭園にあるものは、ひときわ際立って大きく、新宿御苑のシンボルツリーになっている。ユリノキの原産地は北米であり、北米では高さ50mを超えることがあるという。新宿御苑のユリノキは、明治時代に持ち込まれ植えられた。

ユリノキは大きな花をつける木である。花は、百合というよりも、チューリップのような形をしている。黄緑色の花弁にはオレンジ色の紋が入っていて美しい(写真2)。また、この花は蜜を多く出す。かつて新宿でも養蜂が行われていた時代には、新宿御苑のユリノキが蜜源になっていた。背丈が大きくなる木であり、花は高い位置に咲く。したがって、その姿を見る機会はなかなか無いが、もしユリノキが街路樹として植えられていたら、ビルの窓や、歩道橋の上から楽しむことができる。花の時期は初夏である。葉の形もおもしろい。Tシャツの形をしている。ユリノキは別名ハンテンボク(半纏木)とも呼ばれる。それは葉の形が半纏に似ていることが語源だ(写真3)。


ユリノキは樹形が美しい上に、寒さや病害虫にも強い。このため街路樹や公園樹として植えられている。ユリノキが日本に持ち込まれた明治時代に、この木を評価し街路樹として普及させた人物に、福羽逸人(ふくばはやと、1856年~1921年)がいる。福羽は、宮内省の園芸技術者であり、ブドウ、メロン、イチゴなどの品種改良において多大な功績を遺している。また街路樹・公園樹の研究における貢献も大きい。そして、新宿御苑の総指揮者でもあった。
都市の近代化という時代の要請に答えるため、福羽はどのような樹木が街路樹や公園樹に適しているかを調べ、ユリノキ、プラタナス、ヒマラヤシーダーなどの樹木の普及に尽力した。さらに福羽は、新宿御苑のユリノキやプラタナスの種子や挿穂を、大量に東京市に寄付し、東京の街路樹の苗木を育成する契機となった。
このような機縁を得て、東京に街路樹を普及させたのが、東京市の職員であった長岡安平(1842年~1925年)である。長岡は公園の建設や街路樹の普及をとおして、東京市の緑化を推し進めた人物である。彼は、乏しい予算の中で、東京市内に街路樹の苗木を育てる土地(苗圃)を探し、自らクワをふるい、数万本もの街路樹の苗木を育てていった。特にユリノキをこよなく愛し、ユリノキの街路樹を広めていったのである。
新宿御苑のユリノキは、明治期に日本に持ち込まれたものである。このユリノキを母樹として、その種子を用いて各地にユリノキが植えられた。例えば、赤坂の迎賓館前には、美しいユリノキの並木がある。この並木は明治時代の末に赤坂離宮(旧東宮御所)が完成した際に、新宿御苑のユリノキの種子から育った苗木を植えたものだ。さまざまな場所に植えられた新宿御苑のユリノキの二世も、今ではすでに大きく育っている。
新宿御苑には、ユリノキのほか、プラタナスやヒマラヤシーダーといった大きな木がある。これらも明治期に外国から収集し、植えられたものだ。これらの木は、造園や緑化の技術者によって研究され、街路樹として、あるいは公園樹として全国に広まり、活躍してきた。
ユリノキは堂々と大きくなる木である。そして、かわいい花も咲かせる。蜜の甘い香りも放つ。その魅力に魅せられた人々の手によって、新宿御苑の地から、東京、さらには全国に広まっていった。そして、公園や街路樹の整備を通じて、都市の近代化を成し遂げる一助となった。新宿御苑の母なるユリノキは、その歴史を今も見守り続けている。(森林インストラクター 渡辺一夫)

Trees in parks and shrines"
Written by Kazuo Watanabe, published by Tsukiji Shokan
An oasis of greenery loved by people, this book introduces the history and episodes hidden in this oasis of greenery. Through the trees in parks and shrines, this book will rediscover how people have been involved with trees, the way trees live, and their charms.
<Table of Contents
Chapter 1: Sleepless Platanus
Chapter 2: War-Torn Azaleas and Dogwoods
Chapter 3: Enoki, the History of Suigo
Chapter 4: Sudajii fought the Great Fire of Edo
Chapter 5 Camphor Tree from Taiwan
Chapter 6: Why did Eiichi Shibusawa build the park?
Chapter 7: How Ginkgo Came to Be Worshipped
Chapter 8: 5,000 Years of History Hidden in the Cherry Hill