Preserving a mountain path that disappeared from maps for future generations: The challenge of the Totsukawa Village Nishikumano Kaido Regeneration Project
Updated by 金本望 on December 17, 2025, 8:44 PM JST
Nozomi KANEMOTO
Leaf Rain Co.
He joined the Japan Forest Technology Association in 2021 and has been involved in several ODA projects in the forestry sector, calculating GHG emission reductions and managing project operations. 2024 he became independent and is currently working in the forestry sector based in France.
奈良県南部を中心に、和歌山県・三重県へと広がる紀伊山地は、深い森林と急峻な山稜が連なる、日本でも有数の広大な森林圏です。この山岳地帯には、古くから人々の祈りと暮らしを支えてきた吉野・大峯、高野山、熊野三山といった霊場が点在し、奈良や京都へと続く巡礼路で結ばれています。霊場や巡礼路、周囲の森が一体となった風景は、自然への畏敬と仏教・神道が融合した文化的景観を形成し、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(※1)として登録されています。
その紀伊山地の中でも、村として日本最大の面積を誇る十津川村(※2)は、自然と歴史が濃密に重なり合う場所です。高野山から熊野本宮大社へと続く熊野参詣道「小辺路」、天空の郷として知られる果無集落、日本有数の長さを誇る谷瀬の吊り橋、そして源泉かけ流しにこだわった十津川温泉郷など、村内には多彩な魅力が点在しています。現在、その十津川村で地域資源の復活への新たな動きが進んでいます。集落と集落、人と人を結んできた西熊野街道を未来につなぐための「西熊野街道再生プロジェクト」です。
プロジェクトを率いるのは、十津川村出身で大阪からUターンした南雅代氏。大好きな十津川の自然の中で子育てをしたいと家族とともに帰郷しましたが、暮らしを再び始めるなかで、かつての故郷とは異なる変化に気づきました。
「子どもの頃に比べて、山に入る人が本当に減っていたんです。」
自分の子どもにも山の楽しさを伝えたい。そう考えた南氏は、集落の名士に案内を依頼し、そこで「西熊野街道」の存在を知りました。昭和初期までは生活道として使われ、五條市まで続いていたこの道は、国道の開通を境に人々が通らなくなり、荒廃が進んでいました。
「先輩たちが元気なうちは道の存在を語り継げる。でも、世代交代が進めば山に埋もれ、完全に失われてしまう。」
喪失の危機を目の当たりにした南氏は、「今動かなければ」と仲間集めを始めました。

*Reference 1:UNESCO「Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range」
*Refer 2:十津川村「村の概要」
最初に声をかけたのは、十津川村でトレイルランニング活動を続けてきた松田氏。そこから山好きの知人たちへと輪が広がりました。資料館に情報が少ないことからインターネットで調べを続けるうち、奈良南部から和歌山にかけての山岳地帯に詳しく、大手出版社の地図制作にも携わる児嶋氏のブログにたどり着き、交流が生まれました。
こうして、2020年に「西熊野街道再生プロジェクト」が正式に始動します。活動は月に一度。南氏は息子さんと共に参加しています。生き物が大好きな息子さんにとって、山は文字通り、宝の山。目を輝かせながら自然と触れ合う姿は、プロジェクトに希望を与えます。


荒れた山道の整備は容易ではありません。誰も通らなければ、道はあっという間に草木に覆われます。
「凍えるような寒さの中、雪がちらつき指先の感覚がなくなることもあります。誰も見ていないのに、なんで自分はここにいるんだろう、と思う瞬間もあります。」
山に入るたびに自然の厳しさを思い知らされます。雪がちらつく日は指先がかじかみ、雨の日には道が滑りやすくなる。誰も見ていない作業は時に心を折りそうになりますが、それでも、メンバーたちは足を止めず山へと向かいます。
「振り返ったとき、自分たちが開いた道が一本の線のように延びている。その瞬間に続けてよかったと思うんです。」
現在、整備可能なルートの約60%が復旧し、次回の地図には西熊野街道が掲載される可能性も出てきました。再生は着実に前進しています。

整備が進む中、南氏は道の活用方法も考えています。
「トレイルランなどのイベントで外から人を呼び込む意義もあります。でも、私はかつてのように『私たちのそばにある道』にしたい。」
観光や教育の場としても利用できる存在に。ハイキングコースや郷土学習の教材として、地域の日常に溶け込む道にしたいと語ります。かつて自分たちが山を駆け回ったように、未来の子どもたちにも山を身近に感じてほしい。その願いが、プロジェクトを支える原動力です。
西熊野街道の石垣には、先人たちの高度な技が残ります。「今の私たちでは再現できない技術。非常に貴重です」と松田氏。全ルートを復活させることはできません。国道168号線の下に埋もれた区間や、ダムに沈んだ区間もあります。それでも、風屋から那知合集落までの道は比較的良好で、再生が最も進んでいます。
人が守り、人が受け継ぎ、人が未来へつなぐ道。西熊野街道の再生は、地域が山とどう向き合い、次世代に何を残すかという問いへの挑戦そのものです。
先人の知恵と、今を生きる人の想い――その両方が重なり、道は再び人々の前に姿を現そうとしています。(株式会社リーフレイン 森林コンサルタント 金本望)
