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「森林の時間」が問いかける近代社会 ブローデルの歴史的時間構造を越えて190

"Forest Time" Questions Modern Society: Beyond the Braudel's structures of historical time

Updated by 山本伸幸 on December 02, 2025, 7:56 PM JST

山本伸幸

Nobuyuki YAMAMOTO

国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所

国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 林業経営・政策研究領域長/専門は森林政策、林業経済。近年の研究テーマは近代化と森林・林業。著書に『森林と時間 森をめぐる地域の社会史』、『地域森林管理の長期持続性 欧州・日本の100年から読み解く未来』、『森林管理制度論』など。「森林管理制度の近代化過程に関する研究」(林業経済学会賞(学術賞))、「日本における森林計画制度の起源」(日本森林学会論文賞)受賞。

ブローデルと地理的な時間

アナール学派の泰斗であるフランスの歴史学者フェルナン・ブローデルが、大著『地中海』の中で掲げた歴史の3層構造は有名である。ブローデルは地理的な時間、社会的な時間、個人の時間の3層の時間構造を示し、歴史学に革新をもたらした。ブローデルの革新の鮮烈さは、それからしばらくの間、アナール学派を旗手として、地理的な時間、社会的な時間の重視へと歴史学を向かわせ、相対的に個人の時間である事件史を軽視することとなった。その後、政治史復権の動きの中で、再度、個人の時間の重要性が見直されるようになるが、環境の時代におけるブローデルの魅力が色褪せたわけではない。

最下層の第1層は、物語の起点となる地中海を取り巻く山地の歴史のような「地理的な時間」。ブローデルはこの時間を「ゆっくりと流れ、ゆっくりと変化し、しばしば回帰が繰り返され、絶えず循環しているような歴史」と説明する。その上の第2層は「社会的な時間」。「緩慢なリズムを持つ歴史」、「人間集団の歴史」とも読み替えられる。そして表層に最も近い第3層が「個人の時間」。ブローデルの若い頃に歴史学の主流であった政治史、戦争史などの「出来事の歴史」を指す。

ブローデルの功績は、ブローデル以前の歴史学において中心課題であった短期変動する「出来事の歴史」、特にそれまで歴史学の主流であった政治史の基層に、「地理的な時間」と「社会的な時間」という中長期の歴史変動を新たに発見し、そこに歴史学者はもちろん、そのほか多くの分野にまたがる人文社会科学者の関心を引きつけたことである。社会的な時間はその後のアナール学派の興隆を生み、「地理的な時間」を発展させた「長期持続」の概念は近年の環境史へと繋がっていく。

森林の時間が提起する歴史の4層構造

拙編著『森林と時間 森をめぐる地域の社会史』の関心であるライフコース分析の視点からブローデルの3層の歴史構造を再考すれば、ブローデルの議論で後景に置かれた個人の時間に再度注視した上で、残り2層との関係を捉え直す試みといえよう。地域社会における人間集団の歴史、地理の時間に拘束されつつ、ゆっくりと成長する森林の歴史、それに比べると、あまりにも短い個々人の歴史。それでも、刹那に瞬く個人の歴史を起点とした2層の歴史への働きかけこそが、人と森林の関係の根幹を形づくる。

もう一つの新味は、ブローデルの3層構造に加え、樹木の成長に象徴される森林の歴史を加えた4層から成る歴史構造を提示した点にある。「地理的な時間」と「社会的な時間」を明示したブローデルの視角が、現在の環境史の興隆につながったことは間違いない。しかし、私たちを取り巻く環境の時間には、非常にゆっくりとした時を刻む地質学的時間から、本書が課題とするような、それよりは早い森林の時間まで含む。森林の時間を「地理的な時間」から区分けしてみることによって、新たに見えてくるものに目を凝らしてみたい。

社会経済変動の様々な動因

経済学に視線を移せば、経済変動についての膨大な研究蓄積がある。短期から長期に並べると、在庫投資周期であるキチンの波、企業設備投資周期であるジュグラーの波、建物投資周期であるクズネッツの波、技術革新周期であるコンドラチェフの波、が有名である。

米国の社会学者、経済史家であるイマニュエル・ウォーラーステインは、ブローデルの枠組みを発展継承し、壮大な世界システム論を構築したが、特に長期のコンドラチェフの波を、世界システムの変更と関連させて論じた。経済変動は私たちになじみ深いが、社会に変化をもたらす要因はそれだけに限らない。ライフコース分析が着目する人の生死による社会変動は、経済変動とは異なる社会変動のあることを我々に教えるものでもある。森林と地域社会の関係に照準する本書において、そのことは一層鮮明に気づかされるだろう。

「ポジ」の物語、「ネガ」の物語

森林と時間というテーマについて、まだまだ考えねばならないことは多い。本書の著者の一人である三木が喝破したとおり(三木敦朗(2025)「我々は何を明らかにしていないのか」『林研』252号、東京林業研究会編)、本書が主に対象としたのは、日本資本制にとって重要な国内木材資源に関する、いわば「ポジ」の物語だった。

資本制の周縁部に追いやられた非男性、非エリート、植民地の人々などが森林と紡ぐ「ネガ」の物語も同じく私たちの世界の大事な一部であることは論をまたない。さらに言えば、本書では、森林の時間の長期性、悠久さを些か強調し過ぎたきらいがある。薪炭林やホダ木生産などの比較的短伐期の木材生産、あるいは、暮らしとともにあった農用林、最近で言えば、森林サービス産業など、森林と人の関係にはもっと短期の時間が併存している。建築用材生産のような長期の森林利用を人々に強いてきた近代化の在り方こそ問われるべきだろう。

世界のそこここに埋もれ忘れ去られた森林と人との多様なかかわりの記憶を、まごつく手つきではあるけれど、これからも掬い上げたい。(国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 林業経営・政策研究領域長 山本伸幸)

『森林と時間』
山本伸幸編、新泉社刊
樹木の生命は数十年、数百年に及ぶ。森林と地域の持続的な関係の構築には長期の時間スケールが不可欠だが、一人の人間の一生では抱えきることができない。次世代への継承の困難さが増す農山村を見据え、人びとが地域の森林に刻んだ歴史を道しるべに、森と人のよりよい関係の未来像を探る。
<目次>
序章 森林の時間と人の時間 山本伸幸
第1章 山造りに出会った人びと 島﨑洋路と森林塾 三木敦朗
第2章 山村社会の継承と女性のライフコース 栃木県の山村の二〇〇年にみる女性たちの歩み 山本美穂
第3章 山と川と共に暮らす集落と住民の生活史 竹本太郎・佐藤周平・松村 菖
第4章 福島県浜通りの近代と森林・断章 山本伸幸
第5章 紙・パルプ産業と地域持続性の懸隔 王子製紙山林部の展開と現場作業組織の相互連関 早舩真智
第6章 赤井学校の時代 ある地方大学にみる国産材供給整備の源流 奥山洋一郎
第7章 森林管理の当事者性と専門性 林政の変遷と天竜・富士南麓にみる地域実践 志賀和人
終章 森林と人の関係を紡ぎ直し続けるために 山本伸幸

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