文化資産としての森林、そしてそこから創出される文化資産
東京のJR山手線駒込駅にほど近い六義園は、柳沢吉保が造園した名園として名高い。明治には三菱創業者の岩崎彌太郎所有となった後、東京市に寄贈され、戦後には国の特別名勝に指定された。季節ごとに変わる色とりどりの景色で今も人々を […]
日本の潜在自然植生は西南日本が常緑広葉樹、東北日本が落葉広葉樹とされる。前者は照葉樹林とも呼ばれ、「照葉樹林文化論」を産んだことは前のコラムで触れた。では、落葉広葉樹林帯――とりわけブナ帯の自然や文化は、どのように捉えら […]
※前回のコラムはこちら【神主の目線】分断された森と都市をつなぐ「産霊」の経済学 — 匿名のサプライチェーンから共創と循環へ 【この記事のポイント】課題(気枯れ): 現代の組織や地域が抱える「イノベーションの枯渇」は、人間 […]
欧州で広がる森林の文化的活用 欧州では近年、木材生産にとどまらない森林の文化的価値や、それを生かした森林サービスへの関心が高まっている。背景にあるのは、木材価格の変動や気候変動リスク、社会の価値観の変化だ。木を切って売る […]
昭和の時代まで箸やタンス、テーブルなど日常生活において必要な道具には木製のものが多く、昔から木に触れて木に守られて日本人は暮らしていたことを以前書きました。家屋も木造が多かったのですから木々がなくては日本の生活は成り立ち […]
丸いものが四角くなる。木材は丸太を成形して、四角い柱や梁桁に形が変わる。もともとの容積から削り取られるので、残った製品は丸太よりも高価になることは蓋然性が高い。では、丸太からはどのくらいの歩留まりになるのか? 簡単に計算 […]
※前回のコラムはこちら高度成長期に提起された「森の文明論」 上山春平編『照葉樹林文化〜日本文化の深層』を読む(前編) 新書『照葉樹林文化』は「上山春平編」とクレジットされているが、照葉樹林文化論を提唱したのは中尾佐助であ […]
日本列島の潜在自然植生は広葉樹だ。潜在自然植生は日本で大きく二つに分かれ、中部地方山岳地帯から東北地方一帯が夏緑広葉樹林域、三大都市圏から中国地方以西は常緑広葉樹林域である。(前回コラム参照)。夏緑広葉樹の別名は落葉広葉 […]
割り箸は日本で生まれました。そのため箸を主に使用して食事をする国の中で、割り箸を使用するのは日本の特長のひとつです。今日、外食産業において割り箸は、利便性や価格の側面に価値を置かれていますが、それ以外の役割があるのではな […]
※前回のコラムはこちら【神主の目線】森林循環の作法として、「中今」の時間軸で過去と未来の責任の分断を超える 惟神――森を“モノ”から“理”へ戻す 惟神(かんながら)は、乱暴に聞こえてしまうかもしれませんが、「自然の理(こ […]
日本の森林資源を持続的に活かしていくためには、伐採・利用・再生を一体として回す、現場での判断と実装が欠かせません。しかし、そうした取り組みは、完成した成功事例として語られる前に、迷いや試行錯誤を含む「途中の実践」として進 […]
地球環境問題がクローズアップされた1990年代から2000年代初頭、森林破壊や二酸化炭素発生などの問題は、「割り箸論争」に発展した。「健康な木々の伐採により作られている」、また、使い捨てが「森林破壊につながる」とする批判 […]
歴史的遺物が残る都心の森 東京の都心で、もっとも深い森はおそらく自然教育園の森であろう。自然教育園は、山手線の目黒駅から目黒通りを東に10分ほど歩いた場所、東京都港区白金台(しろかねだい)にある。国立科学博物館附属の施設 […]
※前回のコラムはこちら森林を放置したらどうなる…「潜在自然植生」という視点 宮脇昭『植物と人間〜生物社会のバランス〜』を読む(前編) ひとつの土地に注目すれば、さまざまな群落が、人間の活動を含めた外部環境と相互に関係しな […]
森を「資源」と呼んだ瞬間から、循環は壊れはじめる 森は木材を生み、経済が回ります。けれど神道の眼差しにおいて、森はまず“場”であり、関係性の器であり、見えない秩序が宿る境界です。例えば、神社の鎮守の森に足を踏み入れたとき […]