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【神主の目線】森林循環の作法として、「中今」の時間軸で過去と未来の責任の分断を超える221

[The Priest’s View] Overcoming the "Disconnection of Responsibility": The Shinto Concept of "Nakaima" as a Design for Forest Circularity

Updated by 青木和洋 on January 22, 2026, 9:09 PM JST

青木和洋

Kazuhiro AOKI

株式会社WSense 代表取締役 / DELTA SENSE 製作委員会

株式会社WSense 代表取締役 / DELTA SENSE 製作委員会 福島県会津若松市出身。華道/茶道/能楽を嗜む家柄で、幼い頃から日本文化に触れて来ました。木に興味を持ち始めたのは、宮大工の「カンナ削り」を目撃して業の奥深さに気付かされた時から。現在は神主として得た知見を基に公益に繋がる取り組みを推進中。東京青年会議所所属 / 大学院卒、MBA(経営学修士)取得 / 4歳の頃からボーイスカウトとサッカーも両立中。DELTA SENSE 公式HP 株式会社WSense

森を「資源」と呼んだ瞬間から、循環は壊れはじめる

森は木材を生み、経済が回ります。けれど神道の眼差しにおいて、森はまず“場”であり、関係性の器であり、見えない秩序が宿る境界です。例えば、神社の鎮守の森に足を踏み入れたときの、空気が変わるあの感覚。あれは単なる気分の変化ではなく、「ここは人間の都合が全てではない」という合図に思えるのです。
森林循環の議論は、しばしば二項対立に吸い込まれます。伐るか、守るか。利益か、公益か。都市か、山か。二項対立はわかりやすい。しかし本来複雑な森をわかりやすく単純な言葉で括り始めると、扱えた気になって深みは失われていきます。
そこで、神道の二つの語彙が、森林循環を“思想”ではなく“作法”へ引き戻す「光」になるのではないかと考えました。それが 中今(なかいま)惟神(かんながら) です。

ただし神道を語る上で、気を付けなければならない部分もありますので、まずはそこをご理解いただきたいと思います。
まず、神道を森林循環の根拠として持ち出すと、“情緒”一辺倒になりがちです。また、美しい言葉は、現場の複雑さを覆い隠します。さらに、神道は単一の教義体系ではなく、地域の祭祀や歴史的な再編を含む広い実践の束です。したがって「神道はこうだ。」と一枚岩で語ると、すぐに乱暴に聞こえてしまいます。
すなわち、本稿で試みるのは、神道を政策や制度の正当化に使うことではありません。意思決定の設計思想として、どこまで使えるか、そしてどこから先は使えないかを明確にすることにあります。

中今――「いま」だけが、森を未来へ渡せる

中今は、単なる現在ではありません。「過去から未来へ連なる時間の真ん中としての今」という感覚のことです。
森をめぐる意思決定に、この言葉ほど似合う概念はないと言えるでしょう。なぜなら森林は、成果が遅れて到来するからです。また、植えた木が資源になるまで少なくとも30年〜50年単位で見積もる必要があるため、植える人と伐る人が同じ人物でないことも多いからです。
そこで私は、森の循環が続きにくい理由は、技術不足でも情熱不足でもないと考えました。最大の理由は、時間軸(森は成果が見えるまでが長い)と主体軸(植える人と伐る人が同じ人物でないことが多い)のズレによって生まれる問題。すなわち、「責任の分断」にあるのではないかと。

端的に言えば、「いま」の意思決定において“当事者不在”に陥りやすいのです。
だからこそ、誰かが過去に積み上げた手入れの成果を、現在の消費者は“当然の供給”として受け取ってしまう。その結果、現在の収益は未来の手入れに接続されない。こうして、過去・現在・未来の鎖が切れる。時間が切れると、森の手入れはコストに見え、価値は価格にしか見えなくなる。結果として、放置が合理化され、過剰利用も合理化されるというわけです。
また、伐採の収益と、再造林(植え直し)や手入れのコストが同じ年度に収まらないという特徴から見ても、森林は最初から「見返りが後から来る」構造になっていることが分かります。この構造が、制度・市場・人材の現実と衝突すると、循環は詰まります。

森林を守る議論に時間差を吸収する仕組みを

そのため、あえて批判的に言えば、森林循環が回らない原因を「意識が低い」「自然への敬意が足りない」と、ガイア理論的に道徳化するのは、ほとんど見たて違いだと思います。問題は意識ではなく、時間差を吸収する仕組みが弱いことにあるのではないでしょうか。
すなわち、森林循環を成立させようと思えば、「いま」だけで閉じた損得計算をやめ、時間を接続した意思決定へ移す必要があるのです。具体的には、未来の手入れ(再造林や間伐、担い手育成など)を、収益が出た後の余剰から支払うのではなく、最初から事業コストとして織り込む。これが中今の実務的な捉え方と言えるでしょう。

しかし、ここには落とし穴があります。中今の「利他的な側面」を強調しすぎると「未来のために今は我慢しよう」という自己犠牲の物語へ寄りやすい点です。森林の現場は既に苦しい。担い手不足、所有の複雑さ、作業道の整備、獣害、採算性、地域の人口減。これらに対して、精神論を上乗せしても回復しません。
だからこそ、中今は、“我慢”の正当化ではなく、時間差を吸収する仕組み(還流ルール・継続財源・担い手育成・契約の設計)を作る動機づけとして捉えるのが善いと考えています。

まとめると、森林を守る議論は「手入れの費用」を語りきれず、森林を使う議論は「再生の責任」を全うできない。よって中今とは、両者を時間の軸で接続する設計思想になり得ると考えられるのではないでしょうか。=続く(株式会社WSense 代表取締役 / DELTA SENSE 製作委員会 青木 和洋)

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