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高度成長期に提起された「森の文明論」 上山春平編『照葉樹林文化〜日本文化の深層』を読む(前編)252

The "Forest Civilization Theory" Proposed During the Period of Rapid Economic Growth

Updated by 長澤 光太郎 on March 02, 2026, 10:39 AM JST

長澤 光太郎

Kotaro NAGASAWA

(一社)プラチナ構想ネットワーク

1958年東京生まれ。元三菱総合研究所専務執行役員。在職中は主にインフラストラクチャー、社会保障等の調査研究に従事。入社から数年間、治山治水のプロジェクトに携わり、当時の多くの河川系有識者から国土を100年、1000年単位で考える姿勢を学ぶ。現在は学校法人十文字学園監事。東京都市大学非常勤講師を兼ねる。共著書等に「インフラストラクチャー概論」(日経BP社2017)、「共領域からの新・戦略」(ダイヤモンド社2021)、「還暦後の40年」(平凡社2023)。博士(工学)。

日本列島の潜在自然植生は広葉樹だ。潜在自然植生は日本で大きく二つに分かれ、中部地方山岳地帯から東北地方一帯が夏緑広葉樹林域、三大都市圏から中国地方以西は常緑広葉樹林域である。(前回コラム参照)。
夏緑広葉樹の別名は落葉広葉樹。紅葉が美しい。常緑広葉樹は照葉樹とも呼ばれる。常緑広葉樹林は、照葉樹林だ。照葉樹林を取り上げた有名な書籍がある。その名も『照葉樹林文化』(中公新書1969年)。書名は長く知っていたが、私は初読となる。

「戦後日本人がもたらした、とびきり独創的な学説」

コンパクトな新書の中に多領域の専門用語が飛び交い、決して読みやすくはない。ただし主張はシンプルで、要するに「西南日本の照葉樹林帯は孤立したものではなく、西はヒマラヤから東は西南日本に至る広域的林相の一部である。そしてそこに住む人々の間には、広く生活や文化が共通していて、日本文明の根源もここにある」というものだ。

本書について、例えば池内紀は「照葉樹林文化論は今日、学会において定着しており、教科書にも載っている。戦後、日本人によってもたらされた学説の中で、とびきり独創的で、雄大な視野を持ち、さまざまな分野に広範な影響を及ぼした」と書いている。この評価を実感するためには、発刊当時の学問的あるいは社会的な常識に、本書がいかに挑んだかを確認する必要があるだろう。私なりにまとめれば、以下のようになる。

(1)日本文明の稲作起源説への挑戦
照葉樹林文化論は、稲作に先行して焼畑、森林利用、山地農耕などがあり、その蓄積が稲作技術の受容を準備したと主張した。

(2)日本文明特殊論への挑戦
照葉樹林文化論は、日本文化・日本文明は独特なものだとの論調に対して、それは広く東アジア文明・文化に共通するものだと主張した。

(3)渡来文明論への挑戦
照葉樹林文化論は、日本文明の諸要素は黄河流域・朝鮮半島から南下・渡来したもののみでなく、ヒマラヤ〜長江流域〜東南アジアに広がる森林地帯にも源流を持ち、それらは日本に北上してきたと主張した。

(4)都市文明中心主義への挑戦
高度成長期の日本は都市文明を強く指向する社会だった。これに対して照葉樹林文化論は、我々のルーツは森林にあるのだと主張した。

特に(1)〜(3)は編著者たちも明確に意識していて、冒頭30数頁の「序論」を著した上山春平は、古代日本に関して独自の説を提唱した柳田國男(『海上の道』など)や江上波夫(『騎馬民族征服王朝説』)でさえ、稲作以降が日本だという観念に執着して縄文を軽視しすぎだと繰り返し述べている。上山は、照葉樹林文化の中に縄文文化を見ようとしているのだ。そして縄文に日本人の源流があると言いたかったようである。

照葉樹林文化論は、このように、森林と人間の関係を論じつつ、アジアの中の日本、そして日本文明の起源を問い直す、極めて野心的な試みなのであった。前置きが長くなったが、以下にその内容を簡潔にみていきたい。

植生は目で見る気候

本書の中心部分は、編者の上山春平(哲学)のほか、吉良竜夫(植物生理学)、中尾佐助(栽培植物学)など5名が参加した二日間のシンポジウムの議事録である。

シンポジウムは、地球上の気候はどのように区分されるのでしょうかという議論から穏やかに始まりそうに見えた。ところが冒頭から波乱である。いきなり、中尾佐助が和辻哲郎を痛烈に批判するのだ。和辻は主著『風土』の中で、世界の気候は「モンスーン」「砂漠」「牧場」に整理されると書いた。中尾はいう。「あの類型の取り扱い方は非常におかしいと思う。(中略)すでにケッペンの気候区分のことは、どの本にでも出ていたはずだのに、どうして、それを読まなかったのだろう」。上山は和辻を弁護するように、彼は主観的に構成したのではないか。日本からヨーロッパに留学するとき、船でまずモンスーン地帯を通り、さらに砂漠地帯を経て地中海に到達する。その通り道の印象で作ったのではないか、と。中尾はこれをも一蹴する。「世界地図を一ぺん見りゃ明らかなはず」「小学生でも指摘できるようなおかしさ」と。今どきの表現を用いれば、文化勲章受賞者であり昭和天皇へのご進講まで行った和辻哲郎の代表作に対して「それってあなたの感想ですよね」と言い放っているのである。

ところでケッペンの気候区分と植生はどういう関係にあるのでしょうかという展開の中で、中尾は「(ケッペンの)やり方は、気候の自然界に及ぼすグランド・トータルを植生の形で把握するということでしょう。植生でとらえるというのは、目で見る気候を言っているようなものだね」と言っている。そこが温帯なのか熱帯なのか、植生を見れば大体わかると。こんなわかりやすい表現をする人である。

照葉樹林は南に開かれている

気候区分と植生に関する専門的な議論が延々と続く。その中で面白かったのは、欧州と東アジアでは状況が違うという吉良竜夫の指摘である。欧州南部には乾燥地帯があるので熱帯から生物が移動してこない。また氷河時代に氷河がアルプスまで南下したのでその地域に生息していた生物が絶滅した。したがって欧州の生物社会には、南と北で断絶がある。これに対して東アジアでは、氷河もそれほど発達しなかったし、乾燥気候による障害もなく、生物は暑くなったら北上し、寒くなったら南下する。地史的な移動は全く自由だった。その結果として日本の照葉樹林は南に繋がっており、日本は南に向かって開かれた世界である、という説明だ。

照葉樹林は、暗い

中尾は、ブータンの照葉樹林はとても静かだという。鳥の種類が少ない。乾燥季には川水の音もしない。落葉紅葉樹に比べて樹冠が高く、葉が厚いので日光が遮られる。薄気味悪い地域だと。吉良が頷く。例えば奈良の春日山の奥山回遊道路に取り囲まれている真ん中が照葉樹林だ。冬でも葉が落ちていない。真冬でも下生えまで濃い緑色。地面が湿っていて、苔が生えていて、暗い。フジやカズラなどのツルが多い。太いツルが大蛇のように下がっている。木が倒れていれば、みんなブヨブヨに腐って水を含んで、上に苔が生えている。陰鬱な雰囲気が充満しており、とても快活な心理状態になれない。古代人は、よくぞこのような土地に住んだものだと。

私自身は、このような照葉樹林の姿を体感したことはない。ただ、YouTubeで検索すれば、ああ、こういうところかと思わせるものがある。その一例を、リンクしておく。

錦江町“照葉樹の森を感じる”PR動画(trail running & sightseeing)

(プラチナ構想ネットワーク理事 長澤光太郎)

※文中敬称略
※注:本書は1969年に刊行されており、本文中の学術用語や知見の一部は、当時の研究状況に基づく表現となっています。

※参考文献
『照葉樹林文化 日本文化の深層』上山春平 編 中公新書
池内紀『二列目の人生 隠れた異才たち』晶文社2003年4月

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