Germany's regional characteristics have influenced the formation of three forest philosophies
Updated by 長澤 光太郎 on August 28, 2025, 8:59 AM JST
Kotaro NAGASAWA
(一社)プラチナ構想ネットワーク
1958年東京生まれ。(株)三菱総合研究所でインフラストラクチャー、社会保障等の調査研究に従事。入社から数年間、治山治水のプロジェクトに携わり、当時の多くの河川系有識者から国土を100年、1000年単位で考える姿勢を仕込まれる。現在は三菱総合研究所顧問。学校法人十文字学園監事、東京都市大学非常勤講師を兼ねる。共著書等に「インフラストラクチャー概論」「共領域からの新・戦略」「還暦後の40年」。博士(工学)。
※前編はこちら
森林乱伐の18世紀ドイツで誕生した林業思想「保続」が直面した課題は 村尾行一『森林業―ドイツの森と日本の林業』を読む(前編)
土地生産性の向上を大面積一斉単純林で実現しようとするドイツ中部ザクセン州発祥の「ターラント林学」に反対する考え方は当初からあった。その先鋒が南ドイツのミュンヘン大学カール・ガイアー教授(1822年〜1907年)である。
ガイアーは1886年の著書「混交林」などでターラント林学を徹底的に批判した。その内容は、①林業は農業とは全く異質の産業である、②森林は単なる樹木の集まりではなくて「生命共同体(エコシステム)」である、③林業はあくまで合自然的・近自然的に営まれなければならない、④それによって自然の生産活力はフルに発揮される、⑤「保続」はあくまで森林を健康な状態に維持する生態学的手法により実現される、と要約される。
このような考えに基づき、林業は天然更新を主、人工造林を副とすべし、とガイアーは言う。木材収穫は連続的な小規模伐採となる。その結果としての、土地に根ざした樹種による不定形・多層・異齢・小面積の混交林の造成と維持こそ理想だと主張したのである。大規模一斉単純林とは真逆の考え方だ。綿密な森林観察に基づき連続的な小規模伐採を実現する「照査法」という手法も生まれた。
ガイアーの思想はその拠点であるミュンヘン大学を中心に受け継がれて発展した。例えば同大学のヴィクター・ディーテリッヒ(1879年〜1971年)教授はガイアーと同じく森林をエコシステムとして捉え、素材の産出だけではなく土壌保全、保水・冷水、防災、レクリエーション、良好な気候や気象の創出などが重要であるとして「多機能林業論」を展開した。
ミュンヘン大学の森林思想は地理的に近いスイスに影響を与えた。チューリッヒ工科大学の造林学教授アーノルト・エングラー(1869年〜1923年)はガイアーの著書に影響を受け、当時スイスで行われていた大面積の針葉樹一斉単純林造成・皆伐の林業を天然更新中心の混交林へと転換させた。村尾氏は、ガイアーの林業思想は母国ドイツよりむしろスイスで盛業したとして、この関係を「ミュンヘン・チューリッヒ同盟」と表現している。ミュンヘンはドイツ南部バイエルン州にあり、チューリッヒとの距離は意外に近い。
ドイツ北部には領邦の中でも強国として知られるプロイセンがあった。その中のベルリン近郊、ポーランド国境近くに設立されたのがプロイセンの林学最高学府エバースヴァルデ森林アカデミーである。同アカデミーで学び教授となった林学者アルフレート・メーラー(1860年〜1922年)は、ミュンヘン・チューリッヒ同盟とは別に、独自に同様の思想に到達し『恒続林思想』(1922年)という書物で世に問うた。
その要点はガイアー思想とほぼ同じであり、森林を生命体と捉えること、自然のサイクルを尊重して人工的な介入(皆伐など)を極力避けること、針葉樹だけでなく広葉樹も積極的に残して多様な生物の生息環境を確保することなどを主張した。
恒続林(独Dauerwald、英Continuous Cover Forestry)とは、生態系の恒常性(Ecosystem Homeostasis)が確保された森林のことだという。そこには更新という概念はなく、まして一定の更新期間という考え方はない。その上で、「最も健全で最も美しい森林は最良質の木材を最多量に供給する」とする。そのためには、森林の状態を常に観察し、伐採すべき林木を見極める林業人の資質が最重要だとも彼は書いている。
村尾氏の記述によるドイツ森林思想の展開を駆け足で見てきた。ドイツの林学には「思想」があるのだ。江戸時代の日本林業とは大きく違う印象がある。経験に基づき防災や収穫最大化の方法論を実践的に探るという江戸日本的な側面はドイツにもあるようだが、人間は森林とどう向き合うべきかという議論がセットになっている。というよりも、思想から施策が生み出される感がある。
そしてその森林思想には地域性があるらしい。試みに村尾氏があげた「ターラント(ザクセン)」「ミュンヘン・チューリッヒ同盟(バイエルン)」「エバースヴァルデ(プロイセン)」を地図に落とすと別図のようになる。まるで三國志である。
村尾氏は「『ドイツ人は几帳面で規則を守る』といった日本人が描くドイツ人像はプロイセン人に近い。バイエルン人は陽気で万事ルーズである」「こうしたドイツ語圏の文化地理学的事情は林学・林業にも深く刻印されている」「カール・ガイアーからヨーゼフ・ケストラー(1902年〜1982年)。予め定めた計画に実際の林業を嵌め込むことを拒否する「フリースタイル林業」を提唱したミュンヘン大学造林学教授)にいたる不定形主義林業はミュンヘン気質ないし南ドイツ気風から生まれたといえよう」と書いている。
明治政府がターラント林学を導入したことについては次回に記す。(プラチナ構想ネットワーク理事 長澤光太郎)
■関連サイト
『森林業―ドイツの森と日本の林業』(築地書館)