The surviving Japanese cedars of the Japanese archipelago point to future forest development
Updated by 長澤 光太郎 on November 28, 2025, 8:51 AM JST
Kotaro NAGASAWA
(一社)プラチナ構想ネットワーク
1958年東京生まれ。(株)三菱総合研究所でインフラストラクチャー、社会保障等の調査研究に従事。入社から数年間、治山治水のプロジェクトに携わり、当時の多くの河川系有識者から国土を100年、1000年単位で考える姿勢を仕込まれる。現在は三菱総合研究所顧問。学校法人十文字学園監事、東京都市大学非常勤講師を兼ねる。共著書等に「インフラストラクチャー概論」「共領域からの新・戦略」「還暦後の40年」。博士(工学)。
※前回のコラムはこちら
「割りやすい」スギが日本を築いた 遠山富太郎『杉のきた道-日本人の暮しを支えて』を読む(前編)
本書の後半は、書名通り、これほど日本人の生活に密着してきたスギは、そもそもどこからやってきたのかというテーマを展開している。概略は以下のようである。
スギという樹種にも歴史がある。温暖だった第三期鮮新世(533〜258万年前)の北半球ではメタセコイア植物群と呼ばれる樹種グループが主流だった。その中に、スギ科諸属があり、現代につながるスギが誕生した。その後の第四期更新生と呼ばれる時代(258万〜1万1,700年前)に地球は寒冷化し、氷河期(氷期)と間氷期を繰り返すことになった。
氷河期にスギ科の各属は、各地方から次々と姿を消し、わずかに環太平洋地域の温暖な土地に残った。著者は「スギ科の中でもっとも耐寒性の樹種として、スギはまさしく日本の氷期を生き残るために生まれたといえよう。氷期と言っても日本のそれは、北部が氷河で被われたヨーロッパほどにはきびしくなかった」と書いている。スギは世界からほぼ消えたが、日本には残った。日本列島とスギは、結びつくべくして結びついたということらしい。
とはいえ、氷期と間氷期は植物の生息条件が変化する。本書によればスギやブナなどを含む冷温帯林と呼ばれるグループは、間氷期には北上し、また標高の高い土地へと広がり、氷期には退却するという動きを繰り返した。このようなことは、地層に含まれる当時の花粉を分析することで知られるという。

最後の氷期が終わったのがおよそ1万年前。それから今日までを完新世と呼ぶ。温暖な時代である。
完新世にも相対的に温暖な時代と寒冷な時代がある。およそ9500年前から4000年前までは現代よりも温暖で、日本列島ではブナやナラが優勢であった。4000年前から1500年前までは、比較的寒冷であり、スギが優勢となった。
つまり2000年前、弥生時代の日本人は、スギが優勢な時代に生きていたのだ。そこに大陸から鉄器の技術が入ってきて、樹木の伐採が容易になった。その後の日本人とスギ材との切っても切れない関係性を見れば(前編参照)、これは非常に幸福な出会いだったと言えるのではないだろうか。その一例が、登呂遺跡なのである。
ところで日本のスギは一種類か二種類かという議論があるようだ。俗に「表スギ」と呼ばれるのは太平洋側に生育するスギで、代表的なものに吉野杉(奈良県)、屋久杉(屋久島)がある。「裏スギ」は日本海側に生育するスギで、秋田杉や北山杉(京都府)が含まれる。本書は、このことにも触れている。
スギは、だいたい年降水量2,000mmあるいはそれ以上の多雨域に広く分布している。具体的には本州の中心部(近畿、中部)であり、太平洋側と日本海側にまたがっている。この「日本海側と太平洋側の両方に分布している」こともスギの特徴であり、例えばヒノキはほぼ太平洋側にしかないのだそうだ。
そこで日本海側と太平洋側のスギは同じなのか違うのかということが、葉状計測など、さまざまな観点から比較研究されてきている。著者によれば、結論は出ていない(50年前の書籍だが)とのことだが、面白い話だと思う。
本書は、最後の最後まで興味を惹きつける記述に満ちている。例えば末尾近くに以下の記述がある。スギは、独特な植物だというのだ。
「考えてみればスギという樹木は奇妙な植物である。針といえば簡単に思えるその葉の多様さ、それがゆっくりと流れるように小枝にまつわりつく、隣の葉も同じようにまつわりついて一緒に小枝をとりかこむ、小枝と小枝が葉にまつわりつかれながらとけあって少しばかり太い枝になる、また葉がまつわりつく。葉やら枝やら区別がつかないのである。」
「芽の伸び方も根の伸び方も融通無碍みたいな伸び方をする。針葉樹仲間でもマツ科の樹木の根は、葉のようにある大いさになれば伸びはとまって栄養吸収だけ行う短根と、短根を分かちながら伸びるだけの長根、いわば地下部の枝葉、といった分化をしている。(中略)スギとその仲間はそうでなく、伸びるのも栄養吸収も、どの根の先端も都合次第で自由にやれる。そういう可塑的な性質というのは未分化の古い型の証拠なのかもしれない。それにしてはスギの出現は、現在までの古生物学的データによれば、新しいできごとである。これもふしぎである。」

本書の締めくくりに、桂離宮は全てスギで作られているという記述がある。とりわけ縁側の床板は、板目と柾目が入り混じった美しい造形だという。さらに、正倉院はヒノキ造りだが、天平の宝物を守ってきた宝物殿はスギ材で作られているとも書いてある。
スギの世界は奥深い。建築や造船の材料でもあり、日用品の素材でもあり、美術品を保管し(正倉院)、さらには自らも美の一要素となるのだ(桂離宮)。日本人の2000年はスギと共に作ってきた歴史と言えるかもしれない。
そして今、スギと私たちは新しい関係を結ぼうとしている。それは木造都市の創造であり、再生可能エネルギーとしての利用である。1000年後に再び「杉のきた道」が書かれるとしたら、21世紀以降の記述はそれらが主になるのだろう。(プラチナ構想ネットワーク理事 長澤光太郎)
※注
本書は1976年に刊行されており、記述されている学術的用語や知見の一部は当時のものとなります。
【著者について】
1910年(明治43年)、京都市に生まれる。1933年、京都大学農学部林学科卒業。1934年〜44年、京都大学演習林(本部、樺太、芦生)勤務。1944〜52年、川西航空木材勤務。1952年、島根県立農科大学助教授。1955年、同教授。1968年、島根大学農学部教授。1974年、定年退官。2002年没。
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