Tokyo’s "Miracle Forest" Preserved by Gunpowder and Imperial History: The Ancient Trees of the Institute for Nature Study
Updated by 渡辺一夫 on January 27, 2026, 9:47 PM JST
Kazuo WATANABE
森林インストラクターとして、樹木の知識の普及や、自然環境を解説する活動を行っている。NHK文化センター、毎日文化センター、よみうりカルチャー、NHK学園などで講師をつとめる。著書は、『公園・神社の樹木』『街路樹を楽しむ15の謎』『アジサイはなぜ葉にアルミ毒を溜めるのか』(以上築地書館)など。1963年横浜生まれ。東京農工大学大学院修了。農学博士。
東京の都心で、もっとも深い森はおそらく自然教育園の森であろう。自然教育園は、山手線の目黒駅から目黒通りを東に10分ほど歩いた場所、東京都港区白金台(しろかねだい)にある。国立科学博物館附属の施設であり、自然に関する研究、教育が行われているが、園内は一般に開放されており、都会に奇跡的に残った森の自然を楽しめる。
自然教育園は、自然が豊かだが、一方ではるか昔からさまざまな人々の暮らしが営まれており、歴史を物語る遺物が今も残っている。園内には、30分ほどで一周できるような歩道が設置されている。入口から歩きだすと、すぐに園路の東側(右手)が土手になっているのが見られる。じつは、その土手は中世に築かれた「土塁」である。中世のころ、この土地には、「白金長者」といわれる豪族の城館があり、その敷地のまわりは土塁で取り囲まれていた。現在でも、その土塁が残っており、往時の姿をしのばせる。土塁は全長三キロメートルに及び、当時関東地方の中世の居城館としては最大級のものだった城館を守っていたとされている。土塁の外側には空濠があったという。
時代が下って、江戸時代になってからは、四国の高松藩の下屋敷となった。当時は、ひょうたん池と呼ばれる小さな池があり、小規模な回廊式庭園があったと推定されている。現在も、江戸時代の下屋敷の庭園のなごりで、「物語の松」と呼ばれる松の大木(写真1)や、モミジの古木が残っている。

また、江戸時代に植えられた木として目立つのが、数十本のスダジイの大木である。スダジイは、木の下を暗くしてしまうほど、厚い葉をたくさん茂らせる常緑樹である。スダジイは敷地を囲む土塁の上などに、点々とみられる(写真2)。

これらのスダジイの古木は、江戸時代の宝暦年間(1751~1764年)のころに植えられたものと考えられている。宝暦年間に、たくさんのスダジイが植えられた理由のひとつは防火であろう。江戸の町は、「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど、火事が多かった。木造家屋が密集していた江戸の町は、大火災が起きる宿命にあった。じつに数年に一度程度の頻度で、大きな火事が起こっていた。
江戸時代から樹木に防火作用があることは経験的に知られていた。ただし、樹木の火災に耐える能力は、樹種によってさまざまだ。マツやスギなどの針葉樹は幹にヤニ(脂)が多く含まれているため燃えやすく、防火機能は低い。また、いわゆる雑木林に多いコナラなどの落葉樹は、冬には落葉してしまうため防火能力が低下してしまう。一方、スダジイのような常緑樹は、水分を多く含む葉を、一年中、大量に茂らせる。防火樹として適している樹木である。高松藩は、防火のためにスダジイの並木を土塁に植えたのではないだろうか。
明治になって、高松藩の下屋敷も明治政府に明け渡された。明治初年に、その敷地は、「白金の火薬庫」と呼ばれる海軍(のちに陸軍)の火薬庫として使われるようになった。
火薬庫は、敷地内に分散して設置され、厳重に管理された。周辺住民など一般の人間の立ち入りは禁止された。したがって、火薬庫の建設のために一部の樹木は伐られたものの、かなりの樹林地は伐採されずに残された。火薬庫として使われたため、明治初年から約40年間にわたって、この地の自然は比較的保護されたのである。
その後、大正時代になって、火薬庫としての時代は終了し、御料地として皇室の土地(白金御料地)になった。大規模な開発の危惧はなくなったものの、太平洋戦争が激化するにつれて、御料地の荒廃は進んでいく。戦局の悪化に伴ってたくさんの防空壕が斜面に掘られ、平坦な土地は畑になり、湿地は水田に変えられたという。樹林地の木もかなり伐られたようだ。そして1945(昭和20)年に太平洋戦争は終結した。
戦後になって、この地は国が直接管理することとなった。しかし、ここで紛糾したのが、旧白金御料地をどの省庁が所管するかという問題である。「都市公園」とみなす建設省や、「自然保護と研究・教育の場」と考える文部省が、自らの所管であることを主張したのだ。その所轄する省庁によって、自然が豊かな公園か、運動施設や動物園のある公園かなど、その姿が全く異なってくる。結局、自然科学系の学会や、教員、地元住民などの意見によって、文部省の所管に決まった。世論は、公園化による自然破壊と風紀の乱れを懸念し、自然保護と教育の場として利用することが望ましいという意見が多かったようだ。
昭和24年に、当時の総理大臣吉田茂が会長を務める「旧皇室苑地運営審議会」は、旧白金御料地を自然教育園として保護し、一般公開することを決定する。そして以降、75年以上にわたり、都心の深い森が守られてきたのである。
自然教育園の園内は、台地あり谷ありと、変化のある地形が楽しめる。台地や斜面にはコナラやケヤキなどの落葉樹、スダジイやシラカシなどの常緑樹が広がり、台地に刻まれた谷には、小川が流れ、池や湿地が広がっていて、湿性の植物も観察できる(写真3)。秋のモミジの紅葉、春の桜と新緑をはじめ、四季の自然を楽しめる。また、アオキやシュロなど鳥が種子を散布することによって増えている植物もあり、森を構成する植物も長い年月の間に変化しているというのも興味深い。

その自然と歴史を堪能できるように園路が設定され、自然や歴史の解説板も整備されている。東京のまさに都心で、自然と歴史を楽しみながら散策できることは本当にありがたい。大都会に緑のオアシスが残っていることは奇跡に近いが、その奇跡を生み出した歴史に思いをはせるのも散策の楽しみになるだろう。(森林インストラクター 渡辺一夫)

『公園・神社の樹木』
渡辺一夫著、築地書館刊
人々に愛されている緑のオアシス、そこに秘められた歴史やエピソードを紹介する。公園・神社の樹木を通して、人と樹木がどう関わってきたのか、樹木の生きかた、魅力を再発見する本。
<目次>
第1章 眠れなくなったプラタナス
第2章 戦争に翻弄されたツツジとハナミズキ
第3章 水郷の歴史を語るエノキ
第4章 江戸の大火と戦ったスダジイ
第5章 台湾からやってきたクスノキ
第6章 渋沢栄一は、なぜ公園を造ったのか?
第7章 イチョウが拝まれるようになったわけ
第8章 サクラの丘に秘められた5000年の歴史