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貧困が共有地の収奪をもたらす構造を解き明かす 千葉徳爾『はげ山の研究』を読む(後編)019

Revealing the structure of poverty that leads to the deprivation of common lands

Updated by 長澤 光太郎 on May 09, 2025, 11:36 AM JST

長澤 光太郎

Kotaro NAGASAWA

(一社)プラチナ構想ネットワーク

1958年東京生まれ。(株)三菱総合研究所でインフラストラクチャー、社会保障等の調査研究に従事。入社から数年間、治山治水のプロジェクトに携わり、当時の多くの河川系有識者から国土を100年、1000年単位で考える姿勢を仕込まれる。現在は三菱総合研究所顧問。学校法人十文字学園法人本部長補佐、東京都市大学非常勤講師を兼ねる。共著書等に「インフラストラクチャー概論」「共領域からの新・戦略」「還暦後の40年」。博士(工学)。

※前編はこちら
地域の森林乱伐と歴史的背景を論考した名著 千葉徳爾『はげ山の研究』を読む(前編)

千葉徳爾『はげ山の研究』に記されている江戸時代の事例をもう一つ紹介する。濃尾平野の北東部(東濃地域)には陶磁器生産で知られる瀬戸(愛知県)や多治見(岐阜県)があり、この地域にも古くからはげ山が多く存在してきた。明治初期に現地視察したお雇い外国人デレーケは「一木一草を見ず」と記している。その原因は、明治末年に東大の林学科教授によって、陶業燃料としての森林伐採であると説明されていた。

森林荒廃の主因は陶業ではなく農民の過剰採取か

しかし著者はここでも疑問を持つ。この地域の陶磁器焼成用燃料の伐採は基本的に択伐であり、これほどまでに激しい林地荒廃の原因とは考えにくいと。

古文書に記されたデータから同地域の燃料について消費量と生産量を推計し、江戸時代においては十分に地域内で賄えるだけの木材生産があったことに確信を持つ。また陶業地域と林地荒廃を食い止めるための砂防工事の位置はほぼ重ならない。ということは森林の荒廃は陶業の燃料採取とは無関係である可能性がある。

関係各村の記録をそのような観点から再確認すると、18世紀以降に商用農産物の生産のために肥料となる緑肥や木灰の需要が高まり、貧農は入会林地から樹木や芝草を採取しこれに充てたとの記述が見出された。デレーケも「入会権を有する民は山の傾斜面に発生する樹木を採尽し、其新葉を稲田及茶に搬送しては其肥料に共す」との記録を残している。はげ山が入会林地で発生していることとこれは付合し、林地荒廃の主原因は農民による入会林地の樹木や芝草の過剰採取にあるはずだ、と本書は主張する。

陶業との関係では、粘性の高い陶土を採掘した土地では湧水が生じたり、地下浸透が困難になるなどの現象が誘発され、結果として土壌浸食が起こりやすくなるとの指摘がある。実際、東大農学部瀬戸演習林の調査結果では、はげ山と粘土採掘地の土砂流出量は後者が圧倒的に多いことから、この地域の林地荒廃に陶業が及ぼした影響は、燃料用の森林伐採よりも陶土採掘の影響が大きいのではないかと推論している。

学際的なアプローチのルーツは柳田國男

本書が対象としたのは主として江戸時代である。江戸時代は200年を超える太平の世である。特に17世紀は都市整備、新田開発、人口増、商品作物の普及などが顕著な現象として知られる。このことを踏まえて本書の内容を敢えて整理すれば、①平和が繁栄をもたらす、②繁栄が格差をもたらす、③格差が貧困を生み出す、④貧困が共有地の収奪をもたらす、という構造と言えるのではなかろうか。

筆者がかつてぼんやり抱いていたイメージは、産業が自己利益のために環境を破壊するというものに近かった。しかし本書によれば産業は意外にしたたかであり、例えば岡山の製塩業の例でも燃料の調達は供給が不安定な入会林地からではなく、私有林地から行っている。森林所有者は供給を継続するために資源管理に意を注ぐので荒廃は起きない。江戸期のはげ山は、その背景に産業発展があるにせよ、直接的には共有地からの過剰収奪、現代的に言えばコモンズの悲劇に近いものとして本書は捉えている。

本書の発刊は1956年であり、時代制約、資料制約等により議論の不備もあるだろう。実際、1991年には著者自ら地質要因の分析を加えて増補改訂版を出版している。

ただ本書の魅力は、その内容に加えて、通説を盲信せず、そこに感じられる矛盾や疑念に関してさまざまな手法で検証を加え、得られた知見の小片を組み合わせて新しい、より説得性のある視点を得ようとする姿勢にあると感じる。初読の際、筆者が感銘を受けたのはむしろこの点であり、自分も研究者の端くれとして、こういうことは大事だな、と思わされたのである。

『はげ山の研究』は単著ではあるが極めて学際的であり、人文地理学、歴史学、民俗学、地学、社会学、経済学、土木工学、林学等の要素が盛り込まれている。そのルーツは柳田國男にあるようだ。本書の前書きには「柳田の『聟入考』と方法論は同じである」と述べられている。さらに言えば「聟入考」の「社会構造変化が日本人の婚姻習慣を変えてしまった」という視点に本書も強く影響されていると指摘することもできそうである。

このような視点や学際的分析は極めて面白いが、「ではどうしたら良いのか」を問う実学の領域で受け止めることはなかなか困難であろう。このためか、例えばその後の林政等に本書の内容の具体的な反映があったという話を聞くことは少ない。

ただし本書以降、はげ山が単なる自然現象ではなく、人間活動の結果であるとの考え方はより社会的な共有が進み、それが現代に続く森林管理や土砂災害対策の裏付けになっているのは確かなことと思われる。

また環境史研究の先駆けでもあり、森林と人間との関係を俯瞰しようとする場合には、必ず参照される一冊となっている。その一例に、次に取り上げる予定のコンラッド・タットマン「日本人はどのように森を作ってきたのか」がある。

■著者について
著者の千葉徳爾博士(1916年-2001年)は千葉県生まれ。旧制東京府立五中(現小石川高校)、東京高等師範学校(現筑波大学)を卒業し宮崎県で中学校教師となる。すぐさま徴兵され中国東北部で軍務に服し終戦後はシベリア抑留を経験。大興安嶺でみた山形形成現象に興味を惹かれたことがはげ山研究の動機と記している。帰国後、柳田國男に師事。大学教員となり筑波大学、明治大学等で民俗学の教鞭をとる。「はげ山の研究」で東北大学から理学博士号、「狩猟伝承研究」で東京教育大学から文学博士号を授与されている。研究テーマは生涯を通じて大きく変遷。著書に『はげ山の研究』(農林協会1956年)、『狩猟伝承研究』(風間書房1969年)、『新・地名の研究』(古今書院1983年)、『負けいくさの構造 日本人の戦争観』(平凡社選書1994年)、『日本人はなぜ切腹するのか』(東京堂出版1994年)、『オオカミはなぜ消えたか 日本人と獣の話』(新人物往来社1995年)などがある。

【補記】
本書で観察された特に森林荒廃が酷い地域である岡山県玉野市内、岐阜県可児市内などのはげ山は、その後の政府、自治体、地域住民などの活動により現状ではスギやヒノキを中心とした森林に生まれ変わり観光資源としても期待されている。(プラチナ構想ネットワーク理事 長澤光太郎)

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