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ジブリの森は縄文とアジアにつながる 上山春平編『照葉樹林文化〜日本文化の深層』を読む(後編)272

The Ghibli Forest connects the Jomon period to Asia.

Updated by 長澤 光太郎 on April 03, 2026, 8:03 PM JST

長澤 光太郎

Kotaro NAGASAWA

(一社)プラチナ構想ネットワーク

1958年東京生まれ。元三菱総合研究所専務執行役員。在職中は主にインフラストラクチャー、社会保障等の調査研究に従事。入社から数年間、治山治水のプロジェクトに携わり、当時の多くの河川系有識者から国土を100年、1000年単位で考える姿勢を学ぶ。現在は学校法人十文字学園監事。東京都市大学非常勤講師を兼ねる。共著書等に「インフラストラクチャー概論」(日経BP社2017)、「共領域からの新・戦略」(ダイヤモンド社2021)、「還暦後の40年」(平凡社2023)。博士(工学)。

※前回のコラムはこちら
高度成長期に提起された「森の文明論」 上山春平編『照葉樹林文化〜日本文化の深層』を読む(前編)

新書『照葉樹林文化』は「上山春平編」とクレジットされているが、照葉樹林文化論を提唱したのは中尾佐助である。中尾は『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書1966年)で世界の農耕には四つの起源があり、それぞれ異なった文化を育んできたとし、その一つである東アジアの広大な地域を照葉樹林帯と呼んだのだ。その内容が稲作文化とは大きく異なることから、縄文時代に関心を持つ上山春平が注目し、学際的なシンポジウムを企画した。その結果として生まれたのが本書であると理解するのが妥当だろう。

中尾佐助(1916-1993年)は愛知県に生まれ、京都大学農学部に学んだ。幼い頃から無類の植物好きで、1952年に今西錦司を隊長とするマナスル調査隊に参画。4ヶ月に及ぶキャンプの後、ネパールの首都カトマンズを見下ろす尾根で今西とともに黒々とした森を目にする。常緑カシが主体の照葉樹林だった。この風景そして生態系は中国南部、朝鮮南部、西日本と同じではないか。東アジアの温帯の大構造としての照葉樹林を、この時、中尾は初めて意識したという。中尾の著書『現代文明ふたつの源流』には、この時の情景が情緒あふれる文章で綴られている。その後の中尾は、この仮説を頭に置きながら、ブータン、パキスタン、東ネパールなどの植生と人間生活を精力的に調査した。

照葉樹林帯に共通する文化

ではこの広大な照葉樹林帯に共通する文化とは何か。残念ながらこの点について、本書は体系的に扱っていない。シンポジウムの議事録としての限界であろう。佐々木高明『照葉樹林文化の道』を参照して補足する。佐々木は上山、中尾と共に『続・照葉樹林文化』を執筆した文化人類学者である。

佐々木が照葉樹林文化の地域に共通する要素としてあげたのは、焼畑、絹、ウルシと漆器、大豆発酵食品、麹を用いた酒造、茶、モチ種、神話の類似性、歌垣、妻問い婚、八月十五日の夜の行事などである。

焼畑や絹、ウルシなどはわかりやすい。大豆発酵食品とは日本なら納豆。類似の食品がネパールやブータン、中国にもあるという。モチ種とはコメで言えばもち米。このように粘りけを持つ品種は生産性が低い(例:もち米はうるち米より単位面積収量が少ない)にもかかわらず広く照葉樹林文化圏では好んで栽培される。納豆なども含めて、ネバネバ食品への嗜好性が共通するという。八月十五日の夜の行事とは日本では十五夜のお月見。中国広西省のヤオ族やミャオ族も同じ日に餅と芋を供えて月を祀る伝統があるのだそうだ。

このような幅広い共通項を持つ生活が、照葉樹林の広がりとほぼ一致する地域で営まれている。

出典:綾の照葉樹林:九州森林管理局

縄文時代を再考する

本書の後半は縄文時代がテーマだ。上山は、照葉樹林文化こそ縄文文化ではないか、そこには農業の芽生えがあったのではないか、と仮説を述べる。中尾が丁寧に答えていく。彼は、照葉樹林文化の仮説を持ちながらアジア各地で詳細に観察した僻地村落の生活実態に基づき、縄文の暮らしを主として食文化から想像で復元しようとするのだ。

中尾曰く、縄文時代でも狩猟と漁労だけで生きていけたはずはない。必ず植物性のものを利用していたに違いない。農業がないとすれば、採取対象はナッツ(どんぐり)、ベリー、芋類(根菜)だろう。どんぐりは照葉樹林で良く採れるし保存も利く。

加えて芋類(根菜類)があるのではないか。ヤマノイモ、クズ、ヒガンバナなどの根茎を粉砕し水に晒してデンプン質を取り出す。アク抜き・毒抜きの水晒し、生デンプンを食用化する加熱処理も行われただろう。そのためには土器がいる。縄文後期の土器には火にかけたススがついているものがあり、煮沸に使っていたことは明らかだ。

農業とは一挙に起こるものではなく、野生状態の利用から農業に至る間に「半栽培」とでも呼ぶべき遷移状態が想定される。人間の近くに来れば排泄物が肥料になるため、それだけでも実は大きくなる。縄文前期から中期にかけて1万年ほどは、このような状況と考えて良いのではないか。

以上の議論を聞いていた考古学者の岡崎敬は、遺跡調査で芋や球根類を見出すことは難しいが、縄文時代に半栽培的なものがあったことは認めても良いのではないかと発言。これを受ける形で中尾は縄文晩期にはアワ、キビ、ヒエ、オカボなどの栽培に進んでいたのではと論じる。弥生時代に一気に水稲栽培に切り替わったわけではないことは、登呂のように水田を持つ遺跡でクリ、ドングリ、シイが見出されることからも知られるのだと。

照葉樹林文化論の遺伝子

照葉樹林文化論は、多くの賛同者を生み、また多くの批判にさらされた。当時の仮説の中にはその後の研究で否定されたものもある一方で、日本の植生や生活文化が孤立したものではなくアジアと深く関係するとの視点はほぼ定着したのではないかと言われる。また、近年になって世界最古の漆器(縄文時代初期)が日本で出土したことから、長江流域が照葉樹林文化の源流だとする中尾の仮説を再考する見方も出てきた。

照葉樹林文化論の現在を、包括的に語ることはとてもできない。ただ感じるのは、これだけ大きな広がりをもたらしたのは、自分自身が詳細に観察した事実に基づいて、それを説明する大きな構図を、権威に頼らず自ら描こうとした中尾の研究姿勢ではないかということである。

出典:もののけ姫 – スタジオジブリ© 1997 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, ND

著名な賛同者に、宮崎駿がいる。大作映画「もののけ姫」は、照葉樹林で暮らしていた縄文人が大和朝廷に追われる形で東北のブナ林地帯にひっそりと暮らす蝦夷となった、という設定で始まる。宮崎自身も照葉樹林文化論に多大な影響を受けたことを度々発言している。蝦夷の衣装はブータンの民族衣装を模したとも。照葉樹林文化である。宮崎は自身の中に流れる縄文の血を感じるとも言っている。

照葉樹林文化論は、未だに未完の大仮説なのであろう。そして森林と人間の歴史を探ることは、我々自身のルーツを探る旅でもあるとの読後感が強く残る一冊であった。(プラチナ構想ネットワーク理事 長澤光太郎)

※文中敬称略
※注:本書は1969年に刊行されており、本文中の学術用語や知見の一部は、当時の研究状況に基づく表現となっています。

※参考文献
『照葉樹林文化 日本文化の深層』上山春平 編 中公新書
斉藤清明「『自然学』はいかにして提唱されたのか〜今西錦司の学問について」ヒマラヤ学誌No.8 2007
中尾佐助『現代文明ふたつの源流 照葉樹林文化・硬葉樹林文化』朝日選書1978
佐々木高明『照葉樹林文化の道 ブータン・雲南から日本へ』NHKブックス1982

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