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戦中戦後も途切れなかった林政・林業経済調査と日常 空襲の夜から書き継がれた島田錦蔵の日記333

Forestry Policy and Economic Research That Never Ceased Through Wartime and Postwar Japan: The Diary Kinzō Shimada Kept Writing from the Night of the Air Raid

Updated by 山本伸幸 on August 10, 2026, 8:25 PM JST

山本伸幸

Nobuyuki YAMAMOTO

国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所

国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 林業経営・政策研究領域主任研究員/専門は森林政策、林業経済。近年の研究テーマは近代化と森林・林業。著書に『森林と時間 森をめぐる地域の社会史』、『地域森林管理の長期持続性 欧州・日本の100年から読み解く未来』、『森林管理制度論』など。「森林管理制度の近代化過程に関する研究」(林業経済学会賞(学術賞))、「日本における森林計画制度の起源」(日本森林学会論文賞)受賞。

島田錦蔵(1903-1992年)は、東京帝大、東京大学教授、東京農業大学教授、大日本山林会会長等を歴任した、昭和期を代表する林政学者、林業経済学者の一人である。教授就任を期して出版された『森林組合論-部落共有地の実相研究を基として-』(岩波書店、1941年)や、版を重ね、戦後長くこの分野の標準的教科書であった『林政學概要』(地球出版、1948年)をはじめとして著作も多い。

44年8ヶ月にわたる「生活記録」

東京、山手線池袋駅のほど近くに島田は長く居を構えたが、そこで、城北大空襲に被災した。その日、1945(昭和20)年4月13日から島田は日記を書きはじめる。日記は昭和が終わり平成を迎えた1989(平成元)年12月31日まで続き、実に44年8ヶ月の長きにわたり、書き続けられた。

島田錦蔵(『島田錦藏博士遺稿集 (小林記念林業文献センター叢書第1集)』、大日本山林会、1994年)

以前、ご子息に伺ったところでは、妻美恵子の他界後、日記の現物は失われたとのことである。残っていれば、貴重な戦後林政史、林業経済史の記録になっただろうことを考えると、大変残念である。ただ、処分される以前に、東京都豊島区が1995(平成7)年に企画した「五十年目の祈りー豊島区平和記念誌―」刊行に協力し、一部活字化された。また、その後、もう少し分量を増やし、ご子息が校正等をした『島田錦蔵日記I 昭和二十年四月から二十五年三月』(以下、『日記』)が私家版として、出版された。

『日記』はもともと、仙花紙の学生答案用紙の裏面にしたためられたもので、被災後に島田が疎開した埼玉県北足立郡指扇村(現埼玉県さいたま市)と、その後戻った東京都豊島区池袋における、1945(昭和20)年4月13日から1950(昭和25)年3月31日の、占領期における、ほぼ毎日の記録が綴られている。

島田自身が「生活記録」と書くとおり、多くの記述は簡素で、メモ程度のものも多い。それでも、戦後の混乱の中、劣悪な交通事情を押して、島田が精力的にこなした校務、調査、普及、政府委員会などの仕事に関係した記述のほか、家族や地域社会、農作業記録など、日々の暮らしの様子が書かれており、貴重な記録史料でもある。

『島田錦蔵日記』

九死に一生を得た城北大空襲

1945(昭和20)年4月13日、14日両日の『日記』の書き出しはこうだ。

「夜十一時四十分頃米機の焼夷弾無数に落下、池袋として最初の落下が我が家に落つ。」

家族の安否、自宅に落ちた焼夷弾の消火作業や周囲の延焼の様子、事後の細々とした対応などが綴られたのち、「美恵子等と長太郎宅に報告、長太郎宅にてニラの卵とぢにて夕飯を馳走になる。」で終わる。美恵子は前に書いたとおり、島田の妻、長太郎は指扇の親族である。

『日記』は万事こんな具合で、戦争末期の東京帝大教授の日常が淡々と続く。愛知岡崎のプロペラ工場への勤労動員監督、新潟高田での農学校指導、新潟御代田の森林組合調査などの出張もこなしつつ、旅先の農作物栽培の様子、専門書の読書記録や乏しい食料を工夫した日々の献立など。やがて、敗戦を迎える。

1945(昭和20)年8月16日と18日の『日記』。

「十二時に着校、一時より農学部教授会あり、終了後中山、山本、荻原にて自分が持参のトマトにて茶を呑み、暫定の防護宿直の当番割当は従来通りを続行に決定す。六・二五で帰宅の予定のところ、機関士の怠業にて五・二〇が八・〇〇に至りて漸く発車する始末。戦后の時局収拾の困難はこの辺にありといふか。」

「本学が占領軍の利用に供せらるることを予想し、学校に置いてある木炭を自宅へ運ぶことにし本日その一歩に着手す。」

戦後の混乱の中でも地方出張は続く。1945(昭和20)年10月には秋田、山形へ開墾地調査、12月には静岡島田の製材調査。『日記』12月22日の記述。

「工場にて製材品の各材種につき品種区分研究。特等、一等は割合に出ず、二等が量的に多く三等これに次ぐ、等外品も相当あり、等外品をいかに扱ふかに問題あり。」

『日記』の記述を数えると、戦後の劣悪な交通事情の中、年平均93日間の出張をしている。

島田邸庭のラクウショウ(現在、豊島区に寄贈され、池袋の森公園として一般開放)

島田が生きたのは、アジア・太平洋戦争の敗戦を経て、日本の森林と社会、経済が大きく変容する時期である。さきの戦争は私たちの暮らしを大きく変えた。しかし、『日記』が明らかにするのは、そこには何かはっきりとした境目があるわけではないことだ。

九死に一生を得た城北大空襲の日に、島田は日記を起筆し、昭和の終わりまで淡々とした日常を綴った。そして、島田が亡くなったのちも、私たちが生きる今日まで、日々は途切れなく続く。

今年も鎮魂の8月を迎えた。近ごろの日本では、ニュースは連日戦争を伝え、公党や議員がヘイトスピーチをまき散らす。そんな日常にだんだん慣れっこになっている自分に慄き、自戒する。百年先の「森の国・木の街」に続く平穏な毎日のために、私は今何ができるだろうか。(国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 林業経営・政策研究領域主任研究員 山本伸幸)

『森林と時間』
山本伸幸編、新泉社刊
樹木の生命は数十年、数百年に及ぶ。森林と地域の持続的な関係の構築には長期の時間スケールが不可欠だが、一人の人間の一生では抱えきることができない。次世代への継承の困難さが増す農山村を見据え、人びとが地域の森林に刻んだ歴史を道しるべに、森と人のよりよい関係の未来像を探る。
<目次>
序章 森林の時間と人の時間 山本伸幸
第1章 山造りに出会った人びと 島﨑洋路と森林塾 三木敦朗
第2章 山村社会の継承と女性のライフコース 栃木県の山村の二〇〇年にみる女性たちの歩み 山本美穂
第3章 山と川と共に暮らす集落と住民の生活史 竹本太郎・佐藤周平・松村 菖
第4章 福島県浜通りの近代と森林・断章 山本伸幸
第5章 紙・パルプ産業と地域持続性の懸隔 王子製紙山林部の展開と現場作業組織の相互連関 早舩真智
第6章 赤井学校の時代 ある地方大学にみる国産材供給整備の源流 奥山洋一郎
第7章 森林管理の当事者性と専門性 林政の変遷と天竜・富士南麓にみる地域実践 志賀和人
終章 森林と人の関係を紡ぎ直し続けるために 山本伸幸

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