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Practicing "Watchful Childcare" in the Great Nature of Chizu, Where Both Children and Parents Grow Together — The Charm of Forest Kindergarten: Part 1
Updated by 西村早栄子 on August 14, 2026, 10:28 AM JST
Saeko NISHIMURA
NPO法人智頭の森こそだち舎
1972年生まれ。学生時代に林学を学び、大学院では熱帯林(マングローブ)の研究でミャンマーに留学経験も。結婚後に鳥取県に移り、2003年鳥取県庁入庁。2012年退職。2009年に『智頭町森のようちえん まるたんぼう』設立。その後、2013年に第2園の『空のしたひろば すぎぼっくり』、2014年には卒園児のためのオルタナティブスクール『新田サドベリースクール』、2016年に子育て世帯向けシェアハウス『はじまりの家』等の設立に関わる。2024年に事業承継し、現在は智頭町での暮らしを楽しんでいる。
森のようちえんの魅力を語る前に、少し現在の子育ての難しさ、というか私自身の違和感についてお話したいと思います。
まず、少子化で兄弟姉妹がいなかったり、周囲に遊べる友達がいなかったりして、子ども同士がつるんだり、子どもだけで遊ぶ経験が圧倒的に減っています。また、安心安全のために大人達が過剰に介入してしまいがちで、場合によっては、子どもの先回り先回りをして、子ども達を導きすぎてしまうきらいもあります。
子育ての最終目標は、子ども達の自立と、子ども達が幸せな人生を送ることだと私は思っています。このためには、今の子育てを取り巻く環境は必ずしもプラスにならないように感じてきました。学生時代に東南アジア各国で見てきた子ども達と比べて、日本の子ども達には『子どもらしさ』みたいなものをあまり感じないのです。とてもお行儀よくいい子たちなのですが…。それが、今の若者の生きづらさや引きこもり等にも繋がっているように思えて仕方ありません。
私達が2009年に智頭の大自然の中で始めた『森のようちえん』は、毎日智頭の森で過ごしながら、子ども達の力を信じて極力大人は介入しない『見守る保育』を行ってきました。開園当初は、私達小さな子を持つ母親達の感覚(専門家ではない)で現場を運営してきましたので、それが智頭町の森のようちえんのワイルドさの礎になったと思っています。
森のようちえんはその名のとおり、園舎を持たずに毎日森に通います。春夏秋冬、暑くても寒くても雨でも雪でも森で過ごすのです。快適便利な環境で育ってきた子ども達はもちろん最初は戸惑う子もいます。ちょっと転んだり、手が汚れたり、服が濡れただけで大泣きします。けれど、森のようちえんでは、3歳4歳の子達でも、自分のことは自分でするのが当たり前。泣いても誰も助けてはくれません。先輩の子ども達が手伝ってくれたりすることはありますが、よっぽどのことがない限り大人達がホイホイと手伝うことはないのです。
なぜか。どんなに小さな子ども達でも、実はかなり自分のことは自分でできるのです。本当はやりたいのです。だけどやらせてもらえない子もたくさんいます(親は『できない』と思っているので)。森のようちえんでは、どんなに小さくても一人の『人間』とみなされ、できる限り自分のことは自分でするように仕向けられます。先輩たちもかなりのことを自分でできるので、そのような姿を見ることで、すぐに子ども達は自分のことを自分でするようになるのです。
話は飛びますが、この夏、高2の末娘(森のようちえん・新田サドベリースクール卒)は気になる大学のオープンキャンパスのために一人で北海道に行ってきました。航空チケットを取るのも、宿を予約するのも、移動手段を調べるのも、もちろんすべて一人でやりました。行く前は初めての一人旅で少し不安そうにしていましたが、もう17歳です。ここは日本です(日本語が通じます)。大丈夫!と背中を押したら、見事にミッションをクリアして一回り大きくなって帰ってきました。私の感覚では『当然』なのですが、娘の話を聞くと、オープンキャンパスに来ている他の子達はすべて親と同伴だったとのこと。本当は一人で来ている他の子と娘は友達になるつもりでいたのですが、そんなチャンスはありませんでした。
もちろん、親として子どもがどんな学校に進学したいのか見ておきたい、と言う気持ちはわからなくもありません。けれど、私達が学生だった30年前と比べて、ちょっと過保護というか過干渉というか、子どもを信頼していないような気がしてしまいます。過保護・過干渉で育てて、成人になったとたんに『自分のやりたいことを自分で探して』とか、『うちの子は自分で何もできない』というのも、ちょっと違う様な気がするのです。小さいうちから『自分で考える』『自分で決める』という体験を繰り返さないと、なかなか『自分で』は難しいのではないでしょうか。
森のようちえんに話を戻します。このような考えを持って始めたので、森のようちえんの『見守る保育』とはとても相性が合いました。私達はただの『母親』だったので、『3歳児だからこれができる』『5歳児はこれができない』という先入観がありませんでした。なので、『見守る保育』をしているうちに、子ども達がぐんぐんいろいろなことが出来るようになり、『これはさすがに無理だろう?』というようなこともさせてみるとやり遂げてしまうことに感動していました。
急な斜面も裸足で登っていきます。運動神経の良い子が行く道について行けない子は、いろいろ考えて試して自分の行けるルートを探します。何もない森の中でも子ども達は面白い物(石や枝や花や虫等)を見つけて遊び始めます。火や刃物といった一般に「危険」とされることも、ポイントを押さえて触らせてあげたら上手に使いこなすようになります。大人達の『これは無理だろう』というのはほとんどにおいて、子ども達の能力を低く見くびっているのです。
森のようちえんをしていると、『大人が介入するより、むしろ子ども達に任せた方が良いのでは?』と思うシーンにも度々出会います。
ある日、子ども4人とお散歩していた時に、二股に分かれた道で片方に行きたい子1人、他方に行きたい子3人に分かれました。皆さんならどうしますか? 森のようちえんではこういう時も、子ども達に判断を委ねます(『自分達で決めてね』と言って自ら解決するのを待つ)。この時は、話し合いは平行線。どちらもなかなか引きません。すると、3人の内の1人が、『やっぱ、僕こっちに行こうかな?』と1人の方に加勢しました。しかし、すぐに『やっぱこっち!』と元の方に翻ります。
その内にふざけて「あっちかな、こっちかなダンス」を始めました。すると周りの子も楽しくなって、『こっち!』『けど、やっぱこっち!』と踊りだします。ひとしきり踊った後で、1人で主張していた子も気持ちを受けとめてもらえたと感じたのでしょうか。『じゃぁ、今日はこっち(3人の示す方)にしよう!でも明日はこっちだで!』と自ら意見を取り下げました。
私達大人には、『踊って解決する』という選択肢はないように感じます。せいぜい、じゃんけんかな?けれど、ここも大人が介入しなくても、子ども達は鮮やかに、大人達が想像もしない方法で、誰も傷つけずに解決してしまうのです。森のようちえんではこんなことが日常茶飯事で起こります。なので、私達大人はますます子ども達の力を信じられるし、待てるようになっていきます。
親としても、子ども達の能力に気づくのはとても大事なことです。なぜなら、子育てがグッと楽になるからです。『子どもは何もできない未熟な存在』と思うと、親にもプレッシャーがかかります。『より良く導かなければ』『上手くできるようにさせなくては』『他の子よりも早く教えた方が良いのでは』と、どんどん親の(物理的心理的)負担が増してしまうのです。
けれど、子ども達には『自ら学び育っていく力がある』こと、さらには『大人達よりもむしろ鮮やかに解決すること』に気づければ、親はその力を信頼して『楽な』子育てができるのです。子どもは群れで育てた方が楽と気づけば、もしかしたら『1人で十分!』と思っていた親が『もう1人、いやあと2人』と子どもを持ちたいと思うかもしれません。森のようちえんは、最高の『少子化対策』にもなりうると感じています。(NPO法人智頭の森こそだち舎理事長 西村早栄子)