A cyclical worldview connecting the Jomon, Ainu, and Matagi.
Updated by 長澤 光太郎 on May 11, 2026, 5:28 PM JST
Kotaro NAGASAWA
(一社)プラチナ構想ネットワーク
1958年東京生まれ。元三菱総合研究所専務執行役員。在職中は主にインフラストラクチャー、社会保障等の調査研究に従事。入社から数年間、治山治水のプロジェクトに携わり、当時の多くの河川系有識者から国土を100年、1000年単位で考える姿勢を学ぶ。現在は学校法人十文字学園監事。東京都市大学非常勤講師を兼ねる。共著書等に「インフラストラクチャー概論」(日経BP社2017)、「共領域からの新・戦略」(ダイヤモンド社2021)、「還暦後の40年」(平凡社2023)。博士(工学)。
日本の潜在自然植生は西南日本が常緑広葉樹、東北日本が落葉広葉樹とされる。前者は照葉樹林とも呼ばれ、「照葉樹林文化論」を産んだことは前のコラムで触れた。では、落葉広葉樹林帯――とりわけブナ帯の自然や文化は、どのように捉えられてきたのだろうか。
今回は、その中の一冊『ブナ帯文化』(思索社1985年)を取り上げる。哲学者、環境考古学者、古植物学者、植物分類学者、考古学者など14名の執筆者による13の小編(共著1編あり)を束ねた一冊である。その体裁は論文集のようだ。全体を要約することは難しいので、私が特に面白く読んだ2編(梅原猛「日本の深層文化:ブナ帯に生きた人々の世界観」、安田喜憲「東西二つのブナ林の自然史と文明」)を軸に紹介したい。今回は前者を中心に記す。
本書第1章の執筆者である梅原猛は、冒頭で自著『日本の深層:縄文・蝦夷文化を探る』(佼成出版社1983年)を引用しつつ、日本文化の奥底には縄文がある。そして縄文文化は東北日本の文化、とりわけアイヌ文化に残っているとする。

梅原の文章を引用しよう。「かつて『照葉樹林文化論』というものがあり、その試みもやはり日本文化を、縄文文化を根底において理解しようとするものであったが、なんとなく納得できないものを私は感じた。なぜならば、照葉樹林は西日本に多いが、その照葉樹林の多い西日本は縄文時代においてははなはだ遺跡も少なく、むしろ過疎地帯であったといってよい。縄文文化が栄えたのはどうみても東日本であるが、東日本には照葉樹林が少ないとすれば、照葉樹林文化論は少なくとも縄文文化論に対する十分な機能をはたすことができない。縄文文化論を十分に展開するためには、照葉樹林よりブナ、ミズナラに代表される落葉広葉樹林(ブナ帯)に注目すべきではないか」
縄文時代には人口の9割が東日本に集まっていたとされる。縄文遺跡は圧倒的に東日本に多い。西日本の照葉樹林帯は暗くて多湿で暮らしにくい。対して東日本の落葉広葉樹林帯は狩猟採集時代の人間が生活する土地としてはるかに有利であったと梅原はいう。そういえば『照葉樹林文化』の中にも「よくぞこんな土地(照葉樹林帯)を拓いたものだ」という吉良竜夫のコメントがあった。これと符号しているではないか。
ところが照葉樹林帯は広大な平原と豊かな水を持っていた。だから水田耕作の技術が渡来して以降、筑紫平野や河内平野など、それまで最も生産力の低かった土地が、最も豊かな米を産出する土地となった。紀元前3世紀から紀元後3世紀までの600年の間に、東西日本の間で生産力の逆転が起きたのだ。多湿で平地の多い照葉樹林地域で水田の開発が進んだ。水稲稲作地域は西南日本から広がり、その中で初めて国ができ、その国々が合併され、大和朝廷に統一されたと梅原は考える。
梅原が追究するのは、縄文人の世界観である。そしてその内容を、東北やアイヌの習俗の中に見ようとする。中でもアイヌの「熊送り(イヨマンテ)」の行事こそ、縄文時代の世界観を解く最も大きな鍵を与えてくれるのではないかという。
熊送りとは、狩りの獲物となった熊の魂を天に送る儀式だ。アイヌにとって、熊は人間と同じ霊の所有者である。その霊は、天の一角で人間の霊と分け隔てなく生活している。地上に現れるときに、一部の霊が熊に仮装する。なぜか。その肉を人間に与えるためだ。梅原は、動物はミヤゲ(「身(ミ)」+「あげる(ヤンゲ)」=「ミヤンゲ」≒「土産」)を持って仮装して現れた存在だと解釈する。その肉をいただいた人間は、礼儀正しい儀式でその魂を天に送り返す。団子や酒や肴といった地上世界の「土産」とともに。
樹木に対しても同様である。一部の霊は巨木として地上に現れる。アイヌはその樹を切る時に、祈りを捧げてその樹の命をもらうことに感謝する。縄文時代というよりも狩猟採集時代の人類は、人間を他の動植物と区別する考えを持っていなかったのではないか。人間が、自分達には動植物を支配する権利があると考えるようになったのは、農業や牧畜が始まってからであろう、と梅原は指摘する。

本書の第7章は石川純一郎(民俗学)による「マタギの世界」である。マタギとは、春から秋にかけては林産物採取や川漁・農耕に従事し、冬の間はもっぱら狩猟に携わる人々である。その集落は関東以北のブナ林帯に点々と存在していた。西南日本の照葉樹林帯における猟師たちは一般に「狩人」と呼ばれる。彼らは、農耕期には焼畑を含む畑作に従事し、冬季に狩猟を行う。
マタギの主な獲物にクマがある。クマは、ブナ林帯に広く生息する。石川は、ブナ林帯がクマの生息を実現している第一の条件は、それが提供する食物(どんぐりなど)にあり、イノシシが見られないのは豪雪の影響だろうとする。イノシシは冬眠しないので、豪雪地帯に生きられない。イノシシは照葉樹林帯に広く生息する。西日本の狩人の獲物はシカやイノシシである。
クマ狩りは早春に行われる。マタギは8〜10人で組を編成し、10日間ほど山中に留まって一糸乱れず狩りを行う。その行動にはいくつかの禁忌がある。例えば爪の根が白色のクマは神聖であり獲ってはならない。また孕みグマ(妊娠中のクマ)を獲ってしまった場合は、特殊な儀礼を行なって山神の許しを乞う。北陸のある地域には、孕みグマを誤って獲った猟師は、猟具一切をその場に置き捨てて再び手にしてはならぬという掟がある。つまり一瞬で廃業だ。その底流にあるのは、動物の再生を助け促そうとする資源管理の智恵であろうと石川はいう。
本書に寄稿した執筆者たちは、異口同音にブナ林帯がいかに天然の食料資源に恵まれているかをいう。穀類(ヒエなど)、野菜類(ダイコンなど)、山菜類、キノコ類、堅果類(胡桃など)、魚類(サケなど)、そしてクマも含めての多様な動物性タンパク源。
クマ以外にもニホンリスやニホンカモシカなどの動物、イヌワシ、クマタカなどの鳥類。ブナの枯木を穿孔するキクイムシやカミキリムシ、土中に住み落葉を分解するシデムシ、オサムシなどの昆虫類までもが、複雑だが一体的な生態系を織り成して世界を形づくり、ヒトはその中の一部として存在している。
ここで梅原猛の文章に戻る。まだ十分に考えきれていないことだが、と前置きして彼はいう。ブナ帯文化には「全てが循環する」という世界観があるのではないか。
農業以前の社会では、地球の東西で世界観は大きく違わなかったはずだ。それは人間も本来は動物や植物と同じと考えるものである。農業の伝来が遅かった日本には、長く狩猟採集文化、縄文文化の影響が残ったのではないか。
落葉樹は春に芽を出し、それが緑の葉になり、実をつけて秋には落葉する。一つの樹は一年の間に生死を繰り返す。アイヌは、毎朝、新しい太陽が生まれて(登って)夕刻に死んで(沈んで)いくと考える。そして生物の霊も生死という循環の中で天と地を往来する。これが縄文の世界観であり、ブナ帯の世界観だ。人間から世界を見るのではなく、世界の大きな循環の中で人間を見ているのだ、と。=後編に続く(プラチナ構想ネットワーク理事 長澤光太郎)
※文中敬称略
※注:本書は1985年に刊行されており、本文中の学術用語や知見の一部は、当時の研究状況に基づく表現となっています。