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[The Priest’s View] How Should the Value of Corporate Green Spaces Be Communicated? — Natural Capital Management in the TNFD Era, Viewed from the Perspective of Sacred Groves
Updated by 青木和洋 on July 01, 2026, 11:02 AM JST
Kazuhiro AOKI
株式会社WSense 代表取締役 / DELTA SENSE 製作委員会
株式会社WSense 代表取締役 / DELTA SENSE 製作委員会 福島県会津若松市出身。華道/茶道/能楽を嗜む家柄で、幼い頃から日本文化に触れて来ました。木に興味を持ち始めたのは、宮大工の「カンナ削り」を目撃して業の奥深さに気付かされた時から。現在は神主として得た知見を基に公益に繋がる取り組みを推進中。東京青年会議所所属 / 大学院卒、MBA(経営学修士)取得 / 4歳の頃からボーイスカウトとサッカーも両立中。DELTA SENSE 公式HP 株式会社WSense
2030年までに陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全しようとする「30by30」目標が世界的なアジェンダとなり、ネイチャーポジティブ(自然再興)への対応は、企業にとって不可避の最重要経営課題となった。とりわけTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)の枠組みが急速に浸透する中、企業は自社の事業活動が自然資本に与える影響や、逆に自然から受けている恩恵を的確に可視化し、ステークホルダーへ説明する重い責任を負うようになっている。
この歴史的な潮流の中で、日本の環境省は「民間の取組等によって生物多様性の保全が図られている区域」を「自然共生サイト」として認定する画期的な取り組みを推進している。この認定を受けた区域のうち、法的な保護地域との重複を除いた場所は、国際データベースに「OECM(Other Effective area-based Conservation Measures:保護地域以外で生物多様性保全に資する地域)」として登録され、世界の30by30目標の達成状況を評価する基盤となる。我が国においては、都市や工場の緑地、里地里山など多様な場所がこのOECMの対象として期待されている。
すでに多くの先進的な企業がこの枠組みに参画している。
例えば、日本電気(NEC)の我孫子事業場(四つ池)、内山緑地建設の「君津グリーンセンター」、竹中工務店の技術研究所内に広がる「調の森 SHI-RA-BE」、そして清水建設の「八ツ堀のしみず谷津」など、企業が所有・管理する多様な緑地が次々と国の認定を受けている 。これは、企業がこれまで「工場緑化」や「福利厚生」の一環として維持してきた空間が、国際的な自然資本保全の最前線として再評価されていることを意味する。
しかし、ここで多くの企業のサステナビリティ担当者や経営企画部門は、極めて高い「壁」に直面している。「OECMに認定されたことは名誉だが、これをどのように企業の財務的・定性的価値として経営に組み込み、投資家へ合理的に説明すればよいのか」という深刻な悩みである。多くの現場では、認定後も緑地の維持管理費は依然として「コストセンター」として扱われ、その恩恵は「CSR活動」や「社会貢献」といった情緒的な言葉でしか語られていない。自然の持つ「見えない価値」を、定量的な経済指標や短期的なROI(投資利益率)だけで測ろうとすることに、現代の資本主義的アプローチの限界が早くも露呈しているのである。

この行き詰まりを突破するヒントは、欧米から輸入された最新の環境フレームワークの中にではなく、実は日本人が千年以上前から地域社会の中で育んできた「ある独自のシステム」に隠されている。それが「鎮守の森」である。
神職としての視点から言えば、鎮守の森は日本に現存する「究極のOECM」に他ならない。日本全国に存在する約8万の神社は、その多くが豊かな森に囲まれている。重要なのは、これらの森は国立公園のような法的な絶対保護区として、国家権力によって強制的に守られてきたわけではないという点だ。地域の人々(民間)が、長い歴史の中で自発的にルールを設け、維持し続けてきた空間なのである。なぜ、これらの森は近代的開発の波に飲まれず、無秩序に伐採されることもなく現代まで残ってきたのか。
それは、古代の日本人が森を単なる「木材の供給源(資源)」としてではなく、「神が宿る聖域」として定義したからである。神道の観点では、森はまず何よりも「場」であり、「関係性の器」であり、「見えない秩序が宿る境界」であると捉えられる 。神々は山や森、木々に降り立つと考えられ、人々はそこに注連縄(しめなわ)を張り、鳥居を建てて「ここから先は人間の経済合理性が通用しない不可侵の領域である」と明確な線引きを行った。
この「聖域化」というプロセスは、見方を変えれば、自然の持つ「見えない価値」を可視化し、強力な社会ルールとしてコミュニティに実装する、極めて高度な設計思想であった。鎮守の森は、落ち葉一枚、小枝一本持ち帰ってはならないとされる厳格なタブー(禁忌)を持つ一方で、地域コミュニティの祭りの場であり、子供たちの遊び場であり、時には災害時の避難場所としても機能してきた。
現代の企業が直面している「緑地の価値が言語化できない」という問題の根本原因は、森を「資源」や「環境保護の対象」といった要素還元主義的な枠組みでしか捉えられていないことにある。「伐るか守るか」「利益か公益か」といった単純な二項対立の議論は、森の本質的な複雑さを奪ってしまう 。自然の価値を、単なる面積(ヘクタール)や炭素クレジット(トン)といった二元的な数字に置き換えるだけでは、森がもつ複雑な生態系や、人間にもたらす精神的な豊かさといった真の価値はこぼれ落ちてしまうのである。

ここで求められるのは、神道の持つ「見えない価値を畏れ敬う」という日本古来の感覚を、単なる精神論や道徳的スローガンで終わらせるのではなく、経営学(MBA)の視座から「意思決定の設計思想」へと緻密に翻訳することである。
企業のOECM(企業緑地)を、現代ビジネスにおける「鎮守の森」として再定義してみよう。それは、単なる環境貢献の証(バッジ)ではなく、過酷な競争が繰り広げられるビジネスの戦場において、企業が自らの意志で意図的に確保した「アジール(中立・自由領域)」である。
現代の組織は、「効率化」と「成果主義」という強迫観念に縛られ、常に正解を求められるプレッシャーの中で「気枯れ(けがれ=気が枯渇し滞留している状態)」を起こしている。そのような中、企業が自社の敷地内や関連地域に豊かな自然環境を保持することは、従業員が肩書きやヒエラルキーという「ビジネスの鎧」を脱ぎ捨て、一人の人間に立ち返るための「余白」を提供することに他ならない。圧倒的な自然資本の前では、人間のちっぽけな権力構造は無効化される。この余白こそが、組織内で目詰まりを起こし凝り固まった社会関係資本を流動化させ、真の対話とオープンイノベーションを生み出す強靭な土台となるのである。=続く(株式会社WSense 代表取締役 / DELTA SENSE 製作委員会 青木 和洋)