Does civilization end when it loses its forests? Reconsidering the cycle of forests and humans from the remaining beech forest zone at the edge of Eurasia.
Updated by 長澤 光太郎 on June 04, 2026, 9:00 PM JST
Kotaro NAGASAWA
(一社)プラチナ構想ネットワーク
1958年東京生まれ。元三菱総合研究所専務執行役員。在職中は主にインフラストラクチャー、社会保障等の調査研究に従事。入社から数年間、治山治水のプロジェクトに携わり、当時の多くの河川系有識者から国土を100年、1000年単位で考える姿勢を学ぶ。現在は学校法人十文字学園監事。東京都市大学非常勤講師を兼ねる。共著書等に「インフラストラクチャー概論」(日経BP社2017)、「共領域からの新・戦略」(ダイヤモンド社2021)、「還暦後の40年」(平凡社2023)。博士(工学)。
※前回のコラムはこちら
縄文・アイヌ・マタギをつなぐ循環の世界観 梅原猛ほか著『ブナ帯文化』を読む(前編)
今回も梅原猛ほか著『ブナ帯文化』を取り上げる。第2章の安田喜憲「東西二つのブナ林の自然史と文明」を中心に紹介したい。これは『照葉樹林文化』に匹敵する、あるいは凌駕するかもしれないほど、スケールの大きな論考である。森林を扱った書物ではあるのだが、この章だけはユーラシアにおける文明の発生と伝播についての話から始まる。
四大文明で最も古いとされるのがメソポタミアである(紀元前3500年頃〜)。これに約1000年遅れてインダス文明、さらに数百年遅れて黄河文明が起こったとされる。また西方のエジプト文明の発祥はメソポタミアに遅れること数百年だそうだ。これらの諸文明の間には、相互に交流があったことが指摘されている。
この歴史的事実に対して、文明は西アジアから東と西の2方向に展開した、つまり西進文明と東進文明があるのだと論じたのは、『照葉樹林文化』の上山春平だった。また同じく『照葉樹林文化』の中尾佐助は、東進文明を硬葉樹林文化、西進文明を照葉樹林文化として、東西の文明を林相との関係で捉えた。これらの議論を踏まえつつ、著者の安田は花粉分析によって文明の伝播の様子を明らかにしようとする。
まずメソポタミアである。チグリス・ユーフラテス川左岸の丘陵地には、文明の初期段階にはカシなど地中海型の森林があった。8000年ほど前から人類がそれを破壊し、結果として文明自体が滅んだことがわかるという。農耕以前から森林破壊があったことになる。
ついで西進文明について。ギリシアでは5000年前からカシ林が広範囲に破壊された。ギリシアやローマが森林を破壊し尽くした後、文明の重心は森林が残されていたアルプス以北に移動した。
そして東進文明。黄河流域にはナラ類を中心とする落葉広葉樹の森があったが、早くに破壊された。韓半島の森林も破壊が進み6500年前からアカマツ林が優占する現在に近い風景が現れ、2300年前頃の稲作伝播により著しい森林破壊が引き起こされた。
以上のような記述で安田が示そうとしているのは、文明は森林の豊かな地に興り、その地の森林が破壊され尽くした時に終わる。文明は新たな森林を求めて東へ西へと展開していく。そういう史観である。そして現在、ユーラシアの文明中心は、文明発祥の地である西アジアから東西に遠く離れた西ヨーロッパと東アジア(日本を含む)にまで追い詰められた。
面白いことに、ユーラシア大陸のブナ帯は、その東端と西端に存在している。これを「隔離分布」と呼ぶそうだ。つまり現代のブナ林が分布するのは、文明が東進・西進して、近代工業技術文明が花を咲かせた、東端と西端の地域、西ヨーロッパと日本なのである。

一体これはどういうことだろう。当初、ブナはユーラシア全体に広がっていたが、文明が興ると共に消費され尽くしてしまい、文明中心となる時期が遅かった地域にのみ残っているということなのか。
ブナの祖先と見られるムカシブナは、中新世中・後期から鮮新世にかけて地上に出現した。ざっと500万年前のことだ。日本列島に現在自生する植物群に入れ替わったのは更新世前期(およそ200万年前)だという。花粉分析によれば、この頃には日本列島の植物社会の中で、ブナは安定した地位を確立していたらしい。ホモ・サピエンスが現れたのは更新世の中期と言われるから、ブナは人類より早くから日本列島にあった。
更新世から現代までの250万年ほどの期間を「第四紀」という。第四紀は寒暖乾湿の変化が激しい時代である。気候変動によって日本列島の中ではブナはスギなどとともに増減を繰り返す。1万8000年ほど前に、ブナの生育に適さない寒冷・乾燥気候(最終氷期)が終わり、晩氷期と呼ばれる1万2000年前頃から主に日本海側でブナ属が急増する。8500年前を境にして西日本では気候の温暖化によってブナ林が減少し、ブナ林の増加はもっぱら東北日本で盛んとなった。現代に続く海洋性気候の確立がこの時期であり、ブナも現在に近い分布が形作られた。その後の気温上昇でブナ林の拡大はいったん減速するが、3000年前ごろからの気候冷涼化・湿潤化によって、スギとともに再び増大し、2500年前にはほぼ現在の自然植生図に示された範囲に分布し終えた。
日本列島でブナ林の生育が拡大するのは1万2000年前。そのころ、最古の土器文化が出現する。その地は、東北日本である。
日本のブナは、あまりにも恵まれた条件のもとで生き延びてきたので、ヨーロッパのブナに比べて逞しさに欠け、破壊に弱いと安田はいう。その表れの一つが、「日本のブナが萌芽しない」ことであるとして、次のように書いている。「萌芽による適応の欠如は、人間の森林破壊に対しては、致命的な弱点となる。種子による発芽・生長は、萌芽に比してはるかに効率が悪い。」「いったん切り倒されたブナの根幹からは二度と若木が再生することはない。ブナの根幹は一代限りだ。」
日本のブナは80万年以上の永い永い歴史を持つ。日本人との共生関係も縄文時代以来6000年に及ぶ。しかし、最近は建材需要増などに応えて皆伐が進み、その伝統がまさに眼前から消え去ろうとしている、というのが本稿の締めくくりである。

本書は13章からなる論文集である。2回に分けたが紹介できたのは第1章と第2章に過ぎない。しかし、ブナ帯文化論の広がりの一端はお伝えできたのではないかと思う。
私にとって印象的だったのは、梅原猛の「縄文はブナ帯である」という指摘だ。照葉樹林帯が水田耕作によって後に高い生産力を持つようになったのに対し、それ以前の狩猟採集の段階では、落葉広葉樹林帯の方が人間の生活に適していたという視点である。
この点を考えるとき、カール・ガイアーの「林業は農業とは全く異質の産業である」という言葉が思い起こされる。森林と向き合う営みは、自然を制御するというよりも、大きな循環の中に身を置くことだという。ブナ帯の文化は、まさにそうした人間と自然との関係のあり方を体現しているのではないだろうか。
近年、環境共生や資源循環といった考え方が重視され、また社会の仕組みとしても、分散型・自律型のあり方が模索されている。これらは、中心が全体を統御するのではなく、個々の関係性の中で全体の秩序が生まれるという点で、ブナの森の生態系に通じるものがある。
こうした視点から見れば、日本列島に長く続いた狩猟採集的な世界観――すなわち人間もまた自然の循環の一部であるという認識――は、決して過去のものではなく、現代において新たな意味を持ち始めているとも言えるだろう。仮にこれを「縄文2.0」と呼ぶならば、それは過去への回帰ではなく、自然との関係を問い直す試みとして理解すべきものであろう。
本書が編者を置かず、14人の著者を並列に記している点も興味深い。一人の中心によって統合されるのではなく、それぞれの視点が併存する構造である。こうしたあり方にもまた、個と全体が緩やかに結びつく関係性を見ることができる。『ブナ帯文化』という40年前の書物が、今もなお、私たちに静かな問いを投げかけている。(プラチナ構想ネットワーク理事 長澤光太郎)
※文中敬称略
※注:本書は1985年に刊行されており、本文中の学術用語や知見の一部は、当時の研究状況に基づく表現となっています。