Photo by Kazuo Watanabe
Waterside trees adorning Tokyo's only waterside landscape—the dawn redwood grove that has become the symbol of Mizumoto Park.
Updated by 渡辺一夫 on July 03, 2026, 8:46 PM JST
Kazuo WATANABE
森林インストラクターとして、樹木の知識の普及や、自然環境を解説する活動を行っている。NHK文化センター、毎日文化センター、よみうりカルチャー、NHK学園などで講師をつとめる。著書は、『公園・神社の樹木』『街路樹を楽しむ15の謎』『アジサイはなぜ葉にアルミ毒を溜めるのか』(以上築地書館)など。1963年横浜生まれ。東京農工大学大学院修了。農学博士。
「水郷」といえば、関東では茨城県の潮来などが有名だが、東京都の23区内でも、「水郷」の景観を楽しめる公園がある。東京都葛飾区にある「水元(みずもと)公園」は、都内で唯一「水郷」の景観が楽しめる公園として知られている。園内には、「小合溜(こあいだめ)」と呼ばれる巨大な沼があり、その水面が、広々とした景観を生み出している(写真1、写真2)。

小合溜は、江戸時代に古利根川(ふるとねがわ)をせき止めてつくられた大きな溜池で、つまり古利根川の名残である。大きな川だったルーツを示すようにゆるやかに蛇行しながら、幅100m、長さ3.5kmにわたって伸びている。そのほとりを歩くと、じつに晴れ晴れとした気持ちになる。そして広々とした水面に、緑の木々が映る姿は、心を和ませる。都心からさほど遠くない場所であるが、ここはやはり「水郷」なのであり、沼のほとりに茂る木々さえも、水辺の風土と深く関わっている。

水元公園の水郷の景観は、どのようにできたのであろうか。水元公園が位置する平野は中川低地と呼ばれる平坦な低地である。その地形が平らなのは、洪水が運んだ土砂が堆積してできた土地だからだ。
水元公園の中には、現在ある古利根川の流路の痕跡だけでなく、昔の川の流路の名残りがいくつか残っている。飛行機で空から撮影した写真(空中写真)を見ると、中川低地には、川がくねくねと蛇行した痕跡がいくつか分布していて、川が洪水のたびに、流路を変えてきた様子がうかがえる。洪水が起こり川が氾濫すると、氾濫した水が運んだ土砂が、平野に堆積する。つまり、水元公園のある場所は、昔から河川が繰り返し氾濫し、流路を変え、土砂を堆積してできた「氾濫原」なのである。
その氾濫の様子を伝えるのが、カスリーン台風による水害である。終戦後まだ間もない昭和22(1947)年9月に、関東地方に多量の雨を降らせたカスリーン台風は、東京に大きな水害をもたらした台風として知られている。9月16日に、埼玉県の利根川の堤防が決壊し、氾濫流が中川低地をゆっくりと流れ下った。18日には今の水元公園に隣接する「桜堤」に達し、そこで一旦せき止められた。しかし、19日未明ついに桜堤が決壊し、さらに中川の堤防も決壊してしまった。その結果、葛飾区の金町、柴又などが水没したのである。この氾濫により葛飾区の全域が浸水し、水が引くまでにじつに20日間を要した。そして大量の土砂が田畑や集落に残されたのである。このような氾濫は、カスリーン台風以前の明治時代や江戸時代にも、何度か起こっていたことが記録されており、水郷の景観が、繰り返し起こる洪水氾濫と深い関係があることを物語っている。
カスリーン台風による氾濫から18年後の昭和40(1965)年に、田畑が広がっていた小合溜周辺は、「都立水元公園」として整備された。都内で唯一の水郷景観をもった、しかも東京23区で最大級の規模の公園として、多くの人が楽しむ場となった。カスリーン台風の時に氾濫流を止めた桜堤は、現在、公園に隣接する桜並木となっていて、春の花見の時期には多くの人でにぎわう。公園内には、はなしょうぶ園、2000本のメタセコイアの森、異国情緒のあるポプラ並木などが造られ、公園の見どころとなっている。水辺の鳥であるカワセミもよく見られ、カメラマンを楽しませている。また、現在はヘリポートや災害対応トイレなど防災施設が備えられ、災害時には、防災公園として活用される。
水郷公園である水元公園には、水辺に適した木が多く見られる。メタセコイア、ラクウショウ(落羽松)、ポプラ、ハンノキ(榛の木)、エノキ(榎)、アキニレ(秋楡)などである。中でも、もっともみごとな森を作っているのがメタセコイアである。メタセコイアは中国原産の針葉樹で、まっすぐに伸びる幹、円錐形の樹冠がひときわ美しい。また、落葉樹であるため、秋には葉が赤褐色に色づき、春に若葉が萌えて、明るく色づく。小合溜のほとりには、約2000本のメタセコイアが植えられ、その美しい森は、水元公園のシンボルのひとつとなっている(写真3)。昭和43(1968)年に、明治になってからちょうど百年になるのを記念して、園内の樹林の整備がすすめられた。メタセコイア林も明治百年記念事業の一環として植えられたものである。

メタセコイアは、かつて地球上から絶滅したと考えられていたが、1946年に中国で現在も生きていることがわかり、「生きていた化石」として話題になった。原産地の中国では、「水杉(スイサ)」と呼ばれ、水辺に生育していたという。メタセコイアとよく似ている針葉樹であるラクウショウ(落羽松)も、和名を「沼杉」といい、沼地でも生育する能力を持つ。根元が水没しても根を立ち上げて呼吸するという特殊な性質をもち、公園内でも、ラクウショウが根を杭のように立ちあげているのをみることができる(写真4)。

小合溜ぞいでは、ハンノキ(榛の木)の群落を見ることができる。ハンノキは、湿地に非常に適応した木である。一定期間であれば根が水没しても枯死しない強さをもち、湿地という、他の樹木が生育しにくい場所で、群落を作ることがある。しかし、現在の日本列島で野生のハンノキ林を見かけることは難しい。開発で湿地じたいが減ってしまったからだ。
自然の植生としては、エノキ(榎)をよく見かける。エノキは河原に多い木だが、川の氾濫という自然現象に適応した樹木である。川が氾濫し、土砂が堆積した土地、つまりほかの木がまだ生えていない新天地に、芽生え、育つことを得意としている。アキニレ(秋楡)も似たような性質をもっており、特に西日本の河川沿いに分布することが多い。繰り返す洪水をうまく利用してきたのかもしれない。
水元公園のシンボルはなんといっても小合溜の広々とした水面だ。一方で、水辺の木々たち、メタセコイア、ラクウショウ、ポプラ、ハンノキ、アキニレ、エノキなどの樹木も、水元の風土を語る自然景観の要素なのである。(森林インストラクター 渡辺一夫)

『公園・神社の樹木』
渡辺一夫著、築地書館刊
人々に愛されている緑のオアシス、そこに秘められた歴史やエピソードを紹介する。公園・神社の樹木を通して、人と樹木がどう関わってきたのか、樹木の生きかた、魅力を再発見する本。
<目次>
第1章 眠れなくなったプラタナス
第2章 戦争に翻弄されたツツジとハナミズキ
第3章 水郷の歴史を語るエノキ
第4章 江戸の大火と戦ったスダジイ
第5章 台湾からやってきたクスノキ
第6章 渋沢栄一は、なぜ公園を造ったのか?
第7章 イチョウが拝まれるようになったわけ
第8章 サクラの丘に秘められた5000年の歴史